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(大項目10+小項目7)
ご存知の通り、今年は韓国併合100年の年に当たります。許しがたい侵略行為であり、そのすべてが無効であることは言うまでもありません。とはいえ主権侵害の既成事実とそれによってうがたれた傷は、なかったこととして目をつぶるわけにはいきません。
あの時から無理やり強制された日本国籍、その結果ゆがめられた人生・人間関係。あのとき打ち込まれた日本国籍のトゲは、いまなお抜かれておらず、傷は癒えようにもありません。日本はまだこのトゲを抜いていません。そのための条約も法律も制定していないのです。時の経過に身をゆだね、なしくずし剥奪をもくろんでいるのです。
法治国家でありながら、剥奪の立法化さえしないままで逃げ回る、この無責任な統治姿勢を許すことは、日本の戦後民主主義の根幹を危うくすることです。
1951年9月8日、この日は対日サンフランシスコ平和条約が締結された日です。この条約中の2条a項(朝鮮の独立確認)が在日コリアンからの日本国籍剥奪の根拠だ、など、およそ正当化できるものではありません。締結の日から59年目の2010年9月8日、宋斗会さん(註1)の弟子を任ずる金明観さんが再び日本国籍の確認を求めて東京地裁に提訴します。日本国籍を持って生まれた在日世代として、なしくずし剥奪を黙って見過ごすわけにはいかないからです。
日本国籍なんかほしくはないが、捨てた覚えもない。ほしいのは捨て去る権利だ。日本国籍のトゲはまだ刺さったままです。このトゲの存在を確認したい。52年4月、民事局長通達が奪ったのは戸籍であって国籍ではない。民事局長には条約を解釈する権限も、国籍を奪う権限もない。したがって国籍はなお保有されている。そのことの意味とその意義とをみなさまと広く共有したいと考えます。つきましては提訴に先立つ公開討論会に、ぜひご参集をお願いいたします。
京都の詩人。1969年10月23日、国を被告として日本国籍確認の訴えを京都地方裁判所に提訴した。5年間に亘る民事訴訟係属中の1973年7月17日、法務省の正門前で自らの外国人登録証明書を焼き払った。その後14日以内に外登証の再交付申請をしなかったとして、外国人登録法違反事件として起訴された。