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事件名 国籍存在確認請求
裁判年月日 昭和三六年四月五日
法廷名 最高裁判所大法廷
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
上告人は、原判決が憲法一〇条、一一条、一二条、一三条及び国籍法に違反した裁判であるとする。なるほど、憲法一〇条は、日本国民の要件を法律で定めることを規定している。しかし、これを定めた国籍法は、領土の変更に伴う国籍の変更について規定していない。しかも、領土の変更に伴つて国籍の変更を生ずることは、疑いをいれないところである。この変更に関しては、国際法上で確定した原則がなく、各場合に条約によつて明示的または黙示的に定められるのを通例とする。したがつて、憲法は、領土の変更に伴う国籍の変更について条約で定めることを認めた趣旨と解するのが相当である。それ故に憲法一〇条に違反するという主張は理由がなく、国籍法も本件に関しては適用がない。また、憲法一一条、一二条、一三条についても、上告人の日本国籍の喪失は、つぎに述べるように、平和条約の規定に基くものであつて、憲法のこれらの規定に違反する点は認められない。
朝鮮に属すべき人というのは、日本と朝鮮との併合後において、日本の国内法上で、朝鮮人としての法的地位をもつた人と解するのが相当である。朝鮮人としての法的地位をもつた人というのは、朝鮮戸籍令の適用を受け、朝鮮戸籍に登載された人である。日本と朝鮮の併合の前に、韓国には民籍法があり、韓国の国籍をもつた人は、民籍に登載されていた。併合の後に、民籍法に代つて朝鮮戸籍令が施行され、民籍に登載されていた人は、朝鮮戸籍に登載されることになつた。これと異つて、元来の日本人は、戸籍法の適用を受け、戸籍に登載される。朝鮮戸籍からはつきり区別するために、これを内地戸籍ということがある。このように、朝鮮人と日本人は、はつきりと戸籍を異にするばかりでなく、それと同時に、適用される法律を異にした。
朝鮮人との婚姻又は養子縁組によつて朝鮮人の家に入つた日本人は、共通法三条一項の「一ノ地域ノ法令ニ依リ其ノ地域ノ家ニ入ル者ハ、他ノ地域ノ家ヲ去ル」という規定に従つて、朝鮮戸籍に登載され、他方で内地戸籍から除籍された。このような人は、法律上で朝鮮人として取扱われ、朝鮮人に関する法令が適用され、日本人に関する法令は適用されなかつた。法律上から見るかぎり、まつたく朝鮮人と同じであり、朝鮮人にほかならなかつた。このことは、あたかも日本人の女が外国人と婚姻し、夫の国籍を取得した場合と同じである。改正前の国籍法によれば、このような場合に、日本人の女は、日本の国籍を喪失する。そのために、法律上から見れば、日本の法令は適用されず、もつぱら外国の法令が適用されることになり、法律的には外国人にほかならないことになる。日本人の女が朝鮮人と婚姻し、朝鮮戸籍に入籍し、内地戸籍から除籍された場合も、右と同じであり、法律上では日本人でなく、朝鮮人になつたものと見るほかない。
連合国による日本占領の時代にも、朝鮮人としての法的地位をもつ者は、日本人としての法的地位をもつ者から、法律上で区別されていた。連合国総司令部の覚書は、あるいは朝鮮人を外国人と同様に取扱い、あるいは「非日本人」という言葉のうちに朝鮮人を含ませ、あるいは「外国人」という言葉のうちに朝鮮人を含ませていた。連合国総司令部の覚書に基いて発せられた日本政府の「外国人登録令」は、朝鮮人を当分の間外国人とみなし、これに入国の制限と登録を強制した。そのさいに、朝鮮人というのは、法律上で朝鮮人としての法的地位をもつ人のことである。そのうちに、婚姻又は養子縁組によつて朝鮮戸籍に登載されるに至つた人も含まれていたことは、いうまでもない。これらの人は、右に述べたように、法律上では、朝鮮人に関する法令が適用され、朝鮮人に異らないものであり、実際において、「非日本人」または「外国人」として取扱われ、外国人として登録もしたのであつた。
これを要するに、朝鮮人としての法的地位をもつ人は、日本人としての法的地位をもつ人から、日本の国内法上で、はつきり区別されていた。この区別は、日本と韓国の併合のときから一貫して維持され、占領時代にも変らなかつた。このような法律的状態の下に、平和条約が結ばれ、日本は朝鮮の独立を承認して、朝鮮に属すべき人に対する主権を放棄し、その人の日本国籍を喪失させることになつた。そうしてみれば、日本国籍を喪失させられる人は、日本の法律上で朝鮮人としての法的地位をもつていた人と見るのが相当である。
本件の上告人は、元来は日本人であるが、昭和一〇年七月一六日に朝鮮人であるAと婚姻入籍したことは、原判決の適法に確定したところである。それによつて、上告人は、法律上で朝鮮人としての法的地位を取得し、日本人としてのそれを喪失したことになる。
平和条約によつて、日本は、朝鮮の独立を承認し、朝鮮に属すべき人の日本国籍を喪失させることになつた。朝鮮に属すべき人というのは、さきに述べたように、日本の法律上で、朝鮮人としての法的地位をもつていた人である。本件の上告人は、この法的地位をもつていたから、平和条約によつて、日本の国籍を喪失したことになる。
上告人は、上告理由第一のうちで、日本と韓国の合併がなかつたならば、朝鮮人Aと婚姻しなかつたであろうということも主張している。しかし、法律上の問題としては、朝鮮人と婚姻したという場合において、朝鮮人としての法的地位を取得するか、その結果として平和条約によつて日本の国籍を喪失するかということが問題であつて、上告人が昭和一〇年七月一六日に朝鮮人Aと婚姻入籍したことは、原判決の適法に確定したところであり、このように確定した事実に基いて、原判決が日本の国籍を上告人が喪失すると判断したのは正当である。
上告人は、平和条約が効力を発生した当時に、実質的に完全な離婚状態にあり、しかも住所をすでに日本国に固定していたとし、それ故に日本の国籍を喪失しないとする。しかし、上告人は、元来は日本人であつても、朝鮮人と婚姻入籍したものであつて、離婚は事実上の状態によつてただちに成立するものではなく、法律上では、上告人の住所のいかんを問わず、その婚姻はいぜんとして継続し、上告人は朝鮮人としての法的地位をもつていたのである。昭和二七年一〇月に、上告人は離婚の判決をえたけれども、これは平和条約が効力を発生した後のことであり、すでに平和条約によつて国籍を喪失していた状態を変更するものではない。
以上の理由によつて、上告人が日本の国籍を有することの確認を求めるのは失当である。上告人が日本の国籍を希望するならば、国籍法に定める帰化の手続によるべきであり、これによつて国籍を簡易に回復することができる。原判決が国籍存在の確認を求める上告人の請求を排斥したのは相当である。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官藤田八郎、同入江俊郎、同奥野健一の補足意見及び裁判官下飯坂潤夫の少数意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。
多数意見は平和条約第二条により、同条約の発効と同時に、当時朝鮮戸籍令によつて朝鮮戸籍に登録されていたものは、本来の朝鮮人のみならず、朝鮮人との婚姻等に因り、共通法三条一項の規定によつて内地における本籍を失い朝鮮の戸籍に入つた本来の日本人をもすべて朝鮮人としての法的地位をもつ人として、右条約の効力として、条約発効の時を時限として当然に日本の国籍を喪失するものとしている。
しかしながら、日本人としての国籍喪失の問題は、わが国の国内法上の問題であつて(憲法一〇条)、平和条約の国際法上の効力として、直接かかる効果を発生するものとすることはできない、平和条約の国内法上の効力の問題として理解されなければならないものである。しかるときに、多数意見は、平和条約発効のときに既に施行後数年を経ていた日本国憲法ならびにこの憲法の施行に伴つてその趣旨に沿うて改正された民法その他の国内法秩序と平和条約との関連をいかに理解せんとするものであろうか。
条約の国内法上の効力は、憲法の趣旨に背反して解釈することの許されないことは当然であろう。憲法の施行につれて民法は改正されいわゆる家は廃止された。平和条約発効当時において、共通法三条にいわゆる「家ニ入ル」「家ヲ去ル」の理念はその適用の根拠を失つているのである。そして民法の改正に伴つて、戸籍法も改正され、いわゆる本籍の概念は一変した。従来の「家」という抽象的、観念的の団体を基本単位として、これに属する人の身分関係を明らかにするという意義の本籍は廃罷されて、新に夫婦親子という通常の親族共同生活態をもつて戸籍の単位とすることとなつた。まさに戸籍法の劃期的な変革であつて、共通法が朝鮮人たる身分の得喪の基準としたところの在来の本籍なる観念はこのときをもつて全く消失したのである。一方、国籍に関しても昭和二五年五月新国籍法は制定され、旧国籍法に採用されていたいわゆる夫婦国籍同一主義は、もともとわが国在来の家族制度の趣意に沿うものであり、新憲法の個人の尊厳、夫婦の平等、国籍離脱の自由の原則等の理念とは相容れないものであつたがためこれを廃止し、現時世界の大勢に従つて、夫婦国籍独立主義を採用したのである(八条参照)。
これら新しい国内諸法規の趣意からみて、平和条約の国内法的効力を解釈するにあたつて、同条約発効当時に、尚かつ共通法三条の規定を肯定して国籍の得喪を論議することは、いかにしても不合理ではなかろうか。
多数意見は、日本国憲法施行後、民法改正の後に、そして、平和条約発効までの間に朝鮮人と婚姻した日本婦人についても、共通法の規定によつて、その日本婦人は「内地ノ家ヲ去ル」ものとして、従つて日本における本籍を失つたものとして、平和条約発効と同時に日本の国籍を喪失したものと解して何の疑念をもさしはさまないのであろうか。とすればあまりにも憲法の趣旨とかけはなれた解釈と評せざるを得ないのではないか。日本国憲法に伴う諸改正法規の施行された以後においては、朝鮮人と婚姻したが故に、従つて日本の家を去るが故に日本の本籍を失うという観念は、新民法からいつても、新戸籍法からいつても、さらに新国籍法の理念からいつても是認し得ないところのものではないか。しかもこれらの法律改正は日本国憲法の趣意に淵源するものであることを銘記しなければならない。
わが国は昭和二〇年八月ポツダム宣言を受諾して事実上朝鮮の独立を承認したのである。朝鮮は同月一五日をもつてその独立の記念日としていること、そしてその時以後独立国の実体をそなえていることは世界公知の事実である。少くとも朝鮮在住の朝鮮人はこの時以後日本国の国籍を喪失したものと解すべきは疑を容れないところであろう。(多数意見は朝鮮在住の朝鮮人についても、平和条約発効までは日本の国籍を失わなかつたとするのであろうか。)
昭和二七年四月締結された[発効した]平和条約第二条は、法律上明確に朝鮮の独立を承認しているのであるが、これはさきになされた事実上の承認を法律上明認したものと解すべきであろう。従つて朝鮮の独立承認にもとづく朝鮮人の日本の国籍喪失の基準は、わが国がポツダム宣言の受諾によつて事実上朝鮮の独立を承認した時を基準としなければならないものであると思う。この時は、もとより日本国憲法の施行以前であり、いわゆる共通法秩序は厳として存在していた時期である。この時を基準とするかぎりにおいて、多数意見の説くところはすべて是認し得るのであつて、本件の上告人はその以前において朝鮮人と婚姻し、朝鮮の家に入り日本の本籍を失つていたものであることは原判決の確定するところであるから、上告人はこの時を基準として日本の国籍を喪失したものと解すべきである。
上告人の憲法および国籍法違反の主張の理由のないこと、および本件上告人の日本国籍の喪失は、日本国との平和条約の規定に基づくものであることについては、わたくしは多数意見と同様である。ところで、本件上告人の日本国籍喪失の根拠規定たる前記条約第二条(a)項は、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、……朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と規定しており、朝鮮に対する領土主権を放棄するものであることは疑いないが、これに伴つていかなる限度において対人主権を放棄することになるかは必らずしも明瞭ではなく、対人主権を放棄することとした朝鮮に属すべき人の範囲は、右条約の規定の成立するに至つた経緯を顧み、同規定の趣旨に従つて、解釈によつて定めるほかはないものと思う。
わたくしは、先ず、前記条約の朝鮮の独立を承認した規定は、明治四二年[一九一〇年・明治四三年]日本国と旧韓国との間に成立した韓国併合条約により発生した状態を除去し、終戦後独立した朝鮮国家に、併合なかりせば旧韓国が持つていたはずのものと認められる領土主権および対人主権を回復し、いわば、併合なかりせば、法律上かくのごとくであつたと認めうる法的状態を実現すること(原状回復)を主眼としたものであると考えるのである。そこで、これを前提として、朝鮮の独立を承認したことに伴つて対人主権を放棄することとした朝鮮に属すべき人の範囲につき考えてみると、併合前の韓国人またはその子孫で併合後その者の身分上に特段の変動のなかつた者(いわば生来の朝鮮人)は、朝鮮に属すべき人として、わが国がこれに対する対人主権を放棄したものであることは、前記平和条約の規定の解釈上問題はないであろう。しかし、それ以外の者、例えば、生来の日本人である女子が、併合後前記のような生来の朝鮮人と婚姻入籍した本件上告人のごとき場合、その他昭和二七年四月一九日付民事局長通達の第一、朝鮮及台湾関係の(二)、(三)に掲げられたような者の場合等において、その者の日本国籍がどうなるかは、その個々の場合ごとに、併合なかりせばその者の国籍は法制上どうなつているであろうかということを考えて、それに合致する限度において、判断すべきであると思う。或いは、前記条約の規定は生来の朝鮮人以外の者の日本国籍の喪失についてまで定めたものではなく、それらの者については、専ら朝鮮国家独立の際におけるわが国の国内法の規定によるべきであるという者があるかもしれないが、わたくしは、前記条約の規定は、前述のごとく原状回復を趣旨とするものと考えるのであつて、その趣旨に合致する限度において、生来の朝鮮人以外の者の日本国籍の喪失についても規定していると解するのである。
そこで、これを本件に即して調べてみると、当時の旧韓国の法制によれば、旧韓国人男子に嫁した外国人女子は旧韓国の国籍を取得することとなつており、また当時のわが国の旧国籍法(明治三二年法律六六号)一八条によれば、日本人が外国人の妻となり、夫の国籍を取得したときは日本国籍を失うこととなつていたことが明らかであるから、もし韓国併合なかりせば、前記のように生来の朝鮮人と婚姻した生来の日本人である上告人は、その当時韓国の国籍を取得するとともに、日本国籍を失うべかりし者であつたことが明らかであり、そしてこのことは、併合なかりせば上告人が婚姻した時そのように確定して既成の事実となつてしまつたはずの事柄であつて、前記条約の規定はそのような事柄に着目し、そのような法的状態を、朝鮮国家独立の際実現せんとするものである。このことは、その後わが国に日本国憲法が施行され、また国籍法が改正されて夫婦同一国籍主義をやめたとしても、それによつて影響を受くべきものではない。けだし、前記条約の規定をこのように解することは、日本国憲法に何ら違反するものではなく(夫婦同一国籍主義そのものが憲法に違反するものとは考えられない。そしてこの主義は、新憲法施行後たる昭和二五年に、同年法律一四五号国籍法が施行されるまで、旧国籍法一八条、二一条等によつて認められていたのである。)、また本件日本国籍喪失は、前記条約の規定に基づくものであつて、国籍法に基づくものでないこと冒頭に述べたとおりであるから、新国籍法の施行とは関係がないというべきだからである。しからば、上告人は前記条約の規定の解釈上、朝鮮国家独立とともに日本国籍を喪失するに至つたものというほかはない。
以上は、原判決の理由説示と同趣旨であり、本件判決の理由としては、わたくしはこれをもつて足りるものと考える。
多数意見は、「右平和条約の規定の解釈上、朝鮮に属すべき人というのは、日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位をもつた人と解するのが相当である。」と説示し、併合後において、わが国の国内法上朝鮮人とされる者についての法制を詳述しているが、併合後わが国の国内法制が、朝鮮人としての法的地位を持つ者としからざる者とを区別したのは、併合により日本人となつた従前の韓国人と生来の日本人との双方を含めた日本国籍を有する者についての区別であつて、それは立法政策の要請に応じ、適正妥当な範囲においていかようにも定め得たところのものである。或いは併合後のわが国の国内法制における朝鮮と内地との関係は、あだかも準国際私法的なものであつて、朝鮮戸籍が内地戸籍とは別個の独立性を認められていたことをもつて、朝鮮戸籍は旧韓国の国籍と実質を同じくするものであるとして、朝鮮戸籍令の適用をうけ朝鮮戸籍に登載された者は、すべて朝鮮国家の独立とともに、日本国籍を失うものであるという考え方があるかもしれない。多数意見は結局そのような立場に立つもののごとくであるが、わたくしは、併合後のわが国の国内法制が朝鮮戸籍に独立性を認めたからといつて、それを旧韓国の国籍と実質を同じくするとの考え方には、併合後のわが国の朝鮮に対する立法政策の動向に照らし、にわかに賛同することができない。従つて、たとえわが国内法制において朝鮮人との婚姻または養子縁組によつて朝鮮人の家に入つた日本人は、共通法三条一項により朝鮮戸籍に登載され、他方内地戸籍から除籍され、法律上で朝鮮人として取扱われたからといつて、もし上告人の婚姻当時の旧韓国の法制および当時における日本の旧国籍法が前記のような夫婦同一国籍主義を認めておらず、日本人たる女子が外国人の妻となつても依然日本国籍を失うものでないとされていたとするならば、併合がなかつたとしても、その日本人たる女子は日本国籍を失うことはないのであるから、前記条約の規定の解釈からいつて、上告人は、朝鮮国家の独立とともに、日本国籍を失つた者であるとすることはできないわけである。すなわち、本件においては、併合後におけるわが国の国内法制上、上告人が朝鮮人としての法的地位をもつていたとの一事をもつて、日本国籍を失うに至つたというべきではなく、前記のような旧韓国の法制およびわが国の旧国籍法一八条の規定が当時存在していたことと相まつて、はじめて前記条約の規定の解釈上、上告人が朝鮮国家の独立とともに、日本国籍を失つたものとされるのである。なお、わたくしは、本件国籍の喪失は、前記条約発効の時に生じたものであるとの見解に立つものである。
わたくしは以上の趣旨において、多数意見に賛同する。
多数意見は、平和条約第二条により、同条約の発効と同時に上告人は日本国籍を喪失したものという。
しかし、平和条約第二条(a)項で「日本国は朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定しているが、これは朝鮮の独立を承認し、領土主権を放棄すると共に朝鮮人に対する主権をも放棄する趣旨であり、国籍については日韓併合によつて韓国の国籍を喪失した本来の朝鮮人及びその子孫をして日本国籍を喪失させる趣旨であることは首肯できるけれども、それ以上にこれらの者と婚姻した本来の日本人女についてまで日本国籍を喪失させねばならないという要請まで包含しているものとは解し難い。また国際法上又は国際慣行上も夫婦同一国籍主義の原則は確立されていない。然らば、朝鮮人と婚姻した日本人女の国籍の問題はわが国の国内法令に従つてこれを決定しなければならない。そして平和条約発効当時施行されているわが国籍法によれば明白に夫婦独立国籍主義を採用しているのであつて、外国人と婚姻した日本人女は日本国籍離脱の措置を採らない限り、当然には日本国籍を失わないのである。従つて、仮りに平和条約発効と同時に夫が朝鮮の国籍を取得したものとしても、妻たる上告人が当然に夫に随い日本国籍を喪失するものと解することはできない。然らば平和条約二条によつても、国際法上からも、また国籍法上からも、多数意見のいう如く朝鮮人と婚姻した日本人女が平和条約発効と同時に当然に日本国籍を失うものということができない。もつとも、多数意見は朝鮮人と婚姻した日本人女は、共通法三条により夫の家に入り夫の朝鮮戸籍に登載され、他方で内地戸籍から除籍されていたのであるから、「法律上では日本人でなく、朝鮮人になつたものと見るほかない」というのであるが、多数意見に従つても平和条約発効まではかかる日本人女でも依然として日本国籍を保有していたのであつて、単に戸籍上形式的に内地戸籍から朝鮮戸籍に移されていたからといつて日本国籍を失う理由とはなり得ない。殊に、新憲法の下いわゆる家の制度は廃止されているのであり、単に共通法、戸籍法の上で内地人と異別な取扱を受けていたという理由で日本国民の基礎である日本国籍が奪われるということは本末顛倒であるといわなければならない。この意味において私は平和条約発効のときに、上告人が日本国籍を喪失したものであるとの多数意見には同調できない。
私見によれば、わが国はポツダム宣言を受諾し、右宣言は朝鮮の独立を認めているのであるから、これにより、わが国は、すでに朝鮮の独立を認めたものと考える。もつとも、平和条約第二章第二条(a)は「日本国は朝鮮の独立を承認して、……」とあるけれども、すでにポツダム宣言の受諾によつて朝鮮の独立を承認しており、平和条約はただこれを確認した趣旨と解すべきものと思う。従つて、他の法律関係についてはとにかく、少くとも国籍の問題としては、上告人の夫はわが国が右ポツダム宣言を受諾した時に外国国籍を取得し、日本国籍を失つたものと解すべく、そして当時のわが国籍法一八条によれば、夫婦同一国籍主義をとり、日本人が外国人の妻となることによつて日本の国籍を失うものとされていたのであるから、妻たる上告人も外国人の妻として当時すでに日本の国籍を失つたものと解さなければならない。然らば、たとえ、上告人が朝鮮在住中夫と同棲しなかつた事実、その後日本に帰つて来た事実、その後離婚した事実があつたとしても、それによつて当然に日本国籍を回復することにはならず、現在上告人が日本国籍を有しないものといわねばならない。私は現在上告人が日本国籍を有しないという結論については多数意見と同意見であるが、上告人の日本国籍喪失の時期及び原因について意見を異にする。
多数意見を要約すれば、次のとおりである。すなわち、(一)、日本国が平和条約第二条から、いわゆる朝鮮領土に対する主権を抛棄したことは、取りも直さず、朝鮮に属すべき人に対する主権を抛棄したことであり、このことは朝鮮に属すべき人について日本国籍を喪失させることを意味する。(二)、右にいわゆる朝鮮に属すべき人というのは日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位をもつた人と解すべきであり、ここに朝鮮人としての法的地位をもつた人というのは、元来朝鮮戸籍に登載された人ばかりでなく、朝鮮人と婚姻し、共通法の適用で、朝鮮戸籍に登載された結果、内地戸籍から除籍された日本人女性をも含むのである。(三)、上告人は元来日本人であるが、昭和一〇年七月一六日朝鮮人であるAと婚姻入籍したものであることは原判決の確定した事実であるから、以上により、日本国籍を喪失している。
というのである。
上叙によつて見れば、多数意見は本事案を純法律的にのみ受取り、平和条約と日本国内法に依つてのみこれを処理せんとしているのである。その立論の過程には疑点がないでもない。例えば(一)、日本国と韓国との間に日本人国籍の得喪に関して条約、協約は固より、何らの話合もされてはいないのである。(二)、前示Aはいわゆる北鮮人[原文のまま]であり上告人は北鮮人[原文のまま]の妻であるが、いわゆる朝鮮人民共和国[原文のまま]は日本政府の承認している国家ではなく、両者の間には何ら外交上の手段をもつていないのである。かような現段階において、多数意見のように一般的法理論のみに従つて本事案を解決点にもつてゆくことが果して可能、且つ妥当であろうか、この点に(多数意見はこの点に関して何ら探究をしていない)、私は疑問を挾むのであるが、それはそれとして、多数意見は、一般通常の場合における朝鮮人妻であつた日本人女性の日本国籍喪失に関する法理論としては一応首肯できるものであろう。しかしながら、上告人は本件においてそのような説法を聴かんと欲しているのではない。自分の場合はかくかくの異常な場合であるから、これを十分に賢察され、一般法理の例外の場合として、日本人たることを認められたいというのである。では、その異常、例外の事態とは何か、本件記録を通覧すれば明瞭に看取できるように、上告人は次のように主張するのである。すなわち、(一)、上告人は大正四年二月四日日本人たる父Bと日本人たる母Cとの間に長女として出生した日本人であり、母CがD姓を名乗るとともに同姓を称していたのであるが、昭和一〇年七月一六日、朝鮮黄海道鳳山郡e面f里g番地に本籍を有するAと婚姻しAの本籍に入籍した。(二)、そして右婚姻後、上告人はAとともに東京において同棲していたが、昭和一六年一一月朝鮮京城府[原文のまま]永登浦に移転したところ、Aは間もなく朝鮮人女性某と関係し、上告人と別居するに至り、遂に翌一七年九月北支[原文のまま]に行くと称して行方を晦まし、上告人を悪意を以て遺棄した。(三)、よつて、上告人は同一八年二月東京に帰り、板橋に住み、印刷工として働いていたが、昭和二〇年六月Aの親より朝鮮に疎開するよう勧められ、上告人は再び前記京城府[原文のまま]永登浦に赴いたがAは妾[原文のまま]との関係を断たなかつたので、上告人は日本に帰るべく決意を堅めたが、時、宛も終戦末期で容易に願望を遂げられずしている中に、終戦となり、上告人は北鮮地域[原文のまま]の沙里院にAの父親と疎開同居をしていたが、日本に引揚げることも出来ず、ようやく昭和二五年一二月釜山に辿りつき、同地の日本人収容所に入れられ、翌二六年一月頃日本に帰還することが出来た。(四)、そこで、上告人は上叙の理由に基きAに対する離婚の訴を東京地方裁判所に提起し、同裁判所昭和二七年(タ)第一三六号離婚請求事件として係属したが、同二七年一〇月二一日離婚の判決があり、同判決は同年一一月五日確定した。(五)、よつて、上告人は同年一一月一四日東京都中央区長に対し右離婚判決の確定に基く離婚の届出書を提出したところ、同区長は、昭和二七年四月一九日附法務府民事第四三八号[民事甲第四三八号]法務府民事局長通達に従い、もと内地人であつても、日本国との平和条約発効前に朝鮮人との婚姻、養子縁組等の身分行為により内地の戸籍から除籍せらるべき事由の生じた者は平和条約の発効とともに日本の国籍を喪失したものとして上告人の届出を受理しない。
というのである。
想うに、以上、上告人主張のような事態の推移であつたとすれば、上告人の場合は多数意見採用のような一般的純法理論のみを以て簡単に律するには、余りにも異常、例外の場合ではなかろうか。裁判所としてはこのような事件の処理に当つては、すべからく上叙のような事態の推移を具さに取調べ、その中に解決の鍵となるべき具体的妥当性を発見すべく努力することこそ肝要な任務ではないかと私は考えるのである。言うまでもなく、法律は国民生活の種々相を余すことなく捉え得るものではない。法律はただ太い一線を引いているだけである。その太い一線で律することのできない異常、例外の場合があり、右一線をのみ貫くときは、法律の予想しない幾多の禍根を生ずるであろうことはわれわれの経験するところである。そこに法律運用の妙味があり、その妙味の発揮こそは裁判官にのみ任されているのである。原審裁判所は本事案が右のような異常、例外の場合であるや否やについては一顧も与えず、ただ法理論のみに泥んで、上告人の請求を排斥し去つたのである。私見を以て言わしむれば、原審は全く法律運用の妙を忘れたものというを憚らないし、当事者の大事な主張にいささかも答えなかつたというかきんありと言わざるを得ない。遺憾ながら、多数意見もその非難を免れ得ないであろうと思う。上告人の言うところを信ずれば上告人は過ぐる大戦争において、日本が敗北した結果日本本土、南北朝鮮と数年悲惨な流浪を続けてきたのである。そして、その余りにも当然な欲望として祖国の国籍に執着し、ようやくにして日本本土の岸辺に辿り付いた生れながらの日本人女性であり、しかも戸籍上朝鮮人の妻であつても、平和条約発効時においてはすでに妻たる実質を失つていたのである。裁判所は何故にこの同胞に対し救いの手を差し延べることを躊躇するのであろうか。この場合多数意見の帰化容易論などは上告人の問うところではなく、上告人が主張の核心とする問題の法律的解決としては論外である。
以上を要約すれば、私見は、原判決が上叙異常、例外の場合に思いを致さず、何らこれに言及しなかつた点において審理不尽、理由不備の粗漏があり、本件上告は理由あるに帰し、原判決は右の理由を以て破棄差戻し然るべきものと信ずるのである。
以上の次第で、私は多数意見には賛同し難い。