凡例:〔 〕内は引用者註
平成23年7月20日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成22年(行ウ)第508号 国籍確認等請求事件
口頭弁論終結の日 平成23年5月11日
東京都武蔵野市吉祥寺本町2丁目4番17−1401号 エストグランディール吉祥寺本町
原告 金 明觀〔原告の項以下省略〕
同訴訟代理人弁護士 張 學鍊
東京都千代田区霞が関1丁目1番1号
被告 国
同代表者法務大臣 江田 五月
被告指定代理人 宇波なほ美 ほか別紙指定代理人目録記載のとおり
2 被告は,原告に対し,550万円及びこれに対する平成22年9月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
本件は,昭和25年11月27日に日本において当時日本国籍を有していた両親の間に出生して日本国籍を取得したと主張する原告が,日本国との平和条約(昭和27年条約第5号。いわゆるサンフランシスコ講和条約。以下「平和条約」という。)の発効に伴い法務府民事局長により発せられた「平和条約の発効に伴う朝鮮人,台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理」と題する通達(昭和27年4月19日付け民事甲第438号法務府民事局長通達。乙1。以下「本件通達」という。)により,事実上日本国籍を剥奪される扱い(以下「本件処分」という。)を受けたところ,本件処分は,平和条約又は法令に根拠も示されておらず,かつ,憲法10条,13条及び14条に反する等の理由により違法であって無効であるとして,原告が日本国籍を有することの確認を求めるとともに,国家賠償法1条1項に基づき,慰謝料500万円及び弁護士費用50万円並びにこれらに対する遅延損害金の支払を求めている事案である。
本件に関係する条約,法律及び通達の定めについては,別紙関係条約,法律及び通達の定めのとおりである(同別紙で定める略称等は,以下においても用いることとする。)。
原告は,昭和25年11月27日に,父である金晶と母である姜息粉の子として神戸市で出生した(甲1の1・2,9)。
原告は,現在,外国人としての登録上の国籍は「韓国」(なお,大韓民国を,以下単に「韓国」ということがある。)とされており,日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法所定の特別永住者であるとされている(甲3)。
原告は,昭和25年11月27日,日本において,当時朝鮮戸籍に登載されて「朝鮮人」と呼ばれていた両親の間に出生した(ただし,原告自身は朝鮮戸籍には登載されていない。)。原告の両親は,朝鮮半島出身者(いわゆる在日一世)であるが,原告が出生した同年当時は,日本に居住していたいわゆる「朝鮮人」については,日本政府の公式の立場は,日本国籍者ということであった。
原告の両親が同年当時に婚姻していたかについては,戸籍の記載上も当事者の記憶上も明確ではないが,婚姻していたにせよ,内縁であったにせよ,当時,朝鮮人については,慣習と条理に基づくとの名目で,結局,日本の国籍法が事実上適用されていたのであり,原告の出生当時,原告の両親については,朝鮮人として朝鮮戸籍に登載されていた日本国籍を有する者であったから,原告は出生と同時に日本国籍を取得している。
いわゆる戦前においては,朝鮮人と日本人とは,法律上明確に区別されており,朝鮮には日本本土(内地)とは異なる法律が適用されていて,朝鮮人は,内地戸籍に登載されることはなく,朝鮮戸籍令に基づいて,朝鮮戸籍に登載されていたのであって,朝鮮戸籍に登載されていた者が内地に転籍することはできなかったところ,このような区別は,いわゆる日韓併合時から連合国による占領時に至るまで一貫して維持されていたものである。
そして,国籍法(昭和25年法律第147号)の施行により廃止された旧国籍法(明治32年法律第66号)は,朝鮮については施行されず,朝鮮人の身分の得喪,その結果としての日本国籍の得喪は,旧国籍法の規定の内容に準じ,慣習と条理によって定まるものとされていたところ,昭和25年7月1日に施行された国籍法も,朝鮮については施行されず,朝鮮人の身分の得喪は,旧国籍法の規定の内容に準じた慣習と条理により定まるものと解されていた(昭和25年6月1日付け民事甲第1566号法務府民事局長通達)。そのため,原告が出生した当時,原告の父又は父が知れない場合には母が朝鮮人(朝鮮戸籍に登載されている者を指す。)であれば,原告は出生により日本国籍を取得したということができるが,証拠上,原告の両親が朝鮮人(朝鮮戸籍に登載されている者)であることを確認できないので,原告が出生により日本国籍を取得したかどうかについては不知とするほかない。
日本は,先の大戦後,アメリカ合衆国を始めとする連合国との間で昭和26年(1951年)9月8日に平和条約を締結し,同条約は昭和27年(1952年)4月28日に発効した。そして,同月19日付けで法務府民事局長が本件通達を発し,同通達により,原告は日本の国籍を喪失するものとされた。
これによって,原告は,事実上日本国籍を剥奪される扱い(本件処分)を受けることになり,今日に至っている。
a 本件通達は,平和条約2条(a)項に関わるものであるが,同項は「日本国は,朝鮮の独立を承認して,済州島,巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対する全ての権利,権原及び請求権を放棄する。」と規定するのみであること,同項は「領域」と題された平和条約第2章の冒頭の条項であり,同条の他の項も領域をどうするかについて規定しているだけであることに鑑みれば,同条(a)項が個人の国籍について何らの定めをしていないことは一見して明らかである。それゆえ,同項は日本国籍喪失の根拠となるものではなく,下位規範への具体的委任もない。
b 植民地が独立する際に宗主国がその領土に成立する国家を承認するに当たっては,その国家に国民・領土・政府が存在することを当然の前提とはするものの,独立の承認という抽象的な行為のみによって直ちにその国家の国民・領土の範囲が確定されるわけではなく,そうであるからこそ,独立の承認に伴って別途領土の範囲が合意され,国民の範囲についても合意されるのであり,国民については植民地出身者について二重国籍を保有させるなどの処理も可能であるし,複雑な処理が想定されるから,独立の承認そのものが直ちに植民地出身者の国籍の剥奪という効果をもたらすわけでもない。
国際法の解説書によっても,領土の変更に伴って国籍変動が生じることはよくあることであると認めつつも,その処理は多様であり,いかなる事案も一方的な対人主権の放棄などという理屈によって説明されたことはない。また,そもそも国家には自国民を保護する義務も国際法上普遍的に認められているのであって,国家がおよそ自国民に対する保護義務を一方的に放棄できるなどという議論は存在しないし,あったのであれば,国家の義務などという概念は必要なくなってしまい,憲法による人権の保障も全く空文と化してしまうのである。対人主権の放棄という概念を安直に使用して良いものかという根本的な疑問がある。
c 一般に,条約の国内における直接適用可能性を判断するための基準については,主観的基準及び客観的基準が考えられるとされ,前者は主に当事国の意思であり,後者は,明確性のほか,専ら国家間の関係を規律する条約であるかどうかなどであるとされている。
平和条約2条(a)項の国籍に関する側面については,上記のいずれの基準に照らしても,国内における直接適用可能性がないことは明らかである。すなわち,同条約締結の際に国籍の話は全くされていないし(なお,韓国との間では平和条約の締結と並行して交渉が進められており,その中で日本に居住するいわゆる朝鮮人の国籍が問題となり,その協議の場において日本政府はいわゆる朝鮮人の国籍問題を処理することとしていたのである。),国内で実施するための何らの措置も規定されていないから,当事国の主観として国籍剥奪の意思を有していなかったことは明らかである。国民から国籍を剥奪する側面については,文言にすらなっていないから,明確性の点でも明らかに無理であるし,同条項は誰が見ても領域に関する規定であって,専ら国家間の関係を規律する条項である以上,国内において直接適用される余地がないことはほとんど自明である。
d 以上のように,本件処分は,条約又は法令の根拠なく,原告の日本国籍を奪ったものであり,無効である。
いわゆる終戦の後,朝鮮戸籍を含む外地戸籍は,事実として植民地が独立してしまった以上,既に日本の管理下にはなく,日本人の名簿であるべき戸籍簿自体が外地戸籍分については日本が管理を喪失してしまったという事態が生じた。このように,戸籍の移動原因が生じていながらその移動を反映させることができないし,外地戸籍分については日本政府が把握できないという事態に直面して,平和条約の発効に際し,戸籍事務を扱う法務府民事局長が,戸籍事務の取扱い方の指示のために国籍剥奪を内容とする本件通達を発し,それまでの矛盾に満ちた状況に実務上終止符を打ったというのが実際のところなのである。
本件通達に示された解釈を支持する判断をした最高裁判決(最高裁判所昭和30年(オ)第890号同36年4月5日大法廷判決・民集15巻4号657頁。以下「昭和36年最高裁判決」という。)は,平和条約2条(a)項の規定が対人主権の放棄をしたものとの前提に立っているが,同項は領土に関する変更のみを規定したにとどまり,対人主権を放棄する趣旨を含むものと解することはできない。
そうすると,本件処分は,通達によって日本国籍を剥奪するものにほかならず,国籍の変動について法律によるべきであることを定めた憲法10条に違反する無効な処分といわざるを得ない。
本件で問題になっている日本国籍の喪失は,個人から国籍をその意に反して奪うものであって,それと引き替えに別の国籍を保有することも保障されていないから,純粋に国家による国籍の剥奪処分であるというほかない。
国籍は,国籍国における居住,就労,財産保有,公務就任及び公民権行使その他あらゆる場面で様々な権利の源泉となり極めて重要な役割を果たす基本的な法的地位であり,個人がそのような国籍を保有する権利,換言すれば,恣意的に国籍を奪われない権利は,憲法13条によって保障されているというべきである。
したがって,本件処分は,個人の尊重,幸福追求権を保障した憲法13条に違反する。
本件処分は,朝鮮戸籍への登載の有無に着目してなされているが,これは,本人自身(あるいはその親)の出身地ないし帰属する民族に着目したものであるということができる。
本件処分は,本人の意思を全く無視して国籍を剥奪したものであるところ,朝鮮出身者あるいは朝鮮民族以外の者との対比において,朝鮮出身者あるいは朝鮮民族の者に特別な不利益を与えるものでしかなく,同じ日本国籍者についてこのような差別的取扱いをすることは到底合理化できない。
よって,本件処分は,憲法14条に違反する無効な処分である。
昭和36年最高裁判決は,本件通達をもってする行政による差別を追認したものであるが,以下の(ア)ないし(オ)に述べるとおり,妥当ではない。
昭和36年最高裁判決は,事案の内容からしても妥当な判断とはいえない。すなわち,昭和36年最高裁判決は,血統的には純粋の内地人であった女性が,朝鮮人との婚姻により朝鮮戸籍に登載されていたという事実のみをもって,平和条約の規定上当然に日本国籍を喪失すると判断したものである。当該女性が,当時既に朝鮮人男性との婚姻が破綻し,別居して日本に居住していたことも考慮すると,その結論が妥当でないことは明らかである。
最高裁判所昭和33年(あ)第2109号同37年12月5日大法廷判決・刑集16巻12号1661頁(以下「昭和37年最高裁判決」という。)は,昭和36年最高裁判決と類似した事案(台湾人と婚姻した内地人女性の国籍が問題となった事案)であるが,平和条約2条(b)項によって台湾については朝鮮と全く同様の処理がされており,本件通達においても平和条約の発効により台湾人は日本国籍を喪失するとされているにもかかわらず,平和条約の発効より後の昭和27年8月5日における日本と中華民国との間の平和条約(以下「日華平和条約」という。)の発効とともに日本国籍を喪失したものと判断した。昭和37年最高裁判決におけるこの判断と昭和36年最高裁判決における判断は整合していないといわざるを得ない。
北方領土に関しても,平和条約2条(c)項において,日本は千島列島及びポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部等に対する主権を放棄しているが,この領土の変更については国籍変更の処理は行われていない。そして,この点に関わる事柄が問題となった案件について,上記を前提とした家庭裁判所の審判がされている。
上記処理と昭和36年最高裁判決とは矛盾している。
明治8年(1875年)5月7日に締結されたいわゆる樺太・千島交換条約の中で,住民は従来の国籍を保有し得ることが定められ,原住民についても,領土の変更が住民の国籍に影響を及ぼすことを認め,国籍選択権が与えられている。
また,明治28年(1895年)4月17日に締結されたいわゆる下関条約においては,遼東半島・台湾・澎湖諸島の日本への割譲に伴う住民の国籍得喪について,当該地域の住民が2年以内に不動産を処分して退去しない場合,退去しない住民を日本国民とみなすとの規定が置かれている。
これらの先例に徴すれば,①領土の変更に伴い,国籍の変動が当然に生じるわけではなく,国籍の変動が生じる場合でも当該住民に国籍の選択を与える余地があること,②国籍の変動を伴う場合には条約に明文が置かれることとの命題が導かれるが,昭和36年最高裁判決はこの2つの命題を無視している。
平和条約は,独立する朝鮮において新たに成立する国家(大韓民国及び朝鮮民主主義人民共和国)を当事国としない条約であったところ,それがゆえに,日本国籍が剥奪されると同時に韓国国籍あるいは朝鮮国籍が付与されることなく植民地出身者及びその子孫は全くの無国籍の状態に置かれることになった。平和条約について判断した昭和36年最高裁判決はその意味でも評価することができない。
被告は,平和条約によって日本国籍を剥奪しても無国籍状態とはならないと主張するが,その援用する国籍に関する臨時条例5条については,1945年(昭和20年)8月9日以前に国籍を回復したものとみなすと規定しているところ,原告のようにそもそも同日以前に日本の国籍を「取得」したとはいえず,あるいは国籍の「回復」には該当しない者については,なお無国籍となる余地があるし,実際にも,1965年(昭和40年)のいわゆる日韓基本条約締結までの間は,原告らは上記条例等韓国側の法令の存在にもかかわらず,日本では無国籍として扱われていたのである。被告は,そもそも朝鮮半島北部の政府(いわゆる北朝鮮)との関係では何も語っていないことに加え,現在に至っても韓国国籍を積極的に取得しないいわゆる朝鮮人については,無国籍者として扱っている事実を完全に無視している。
以上によれば,本件処分は無効であるから,原告は日本国籍を喪失することなく,現在もこれを有するというべきである。
平和条約2条(a)項は,朝鮮の独立を承認して,朝鮮に属すべき領土に対する主権を放棄することを規定している。この点,国家は,人,領土及び政府を存立の要素とするものであるから,朝鮮の独立を承認するということは,朝鮮がそれに属する人,領土及び政府を持つことを承認することにほかならない。したがって,平和条約2条(a)項により,日本は,朝鮮に属すべき領土に対する主権(いわゆる領土主権)を放棄するのと同時に,朝鮮に属すべき人に対する主権(いわゆる対人主権)を放棄したことになる。そして,ある国に属する人とは,その国の主権に服する人をいい,そのような人に対してその国の国籍が付与されるのであり,逆に,ある国の国籍を持つ人は,その国の主権に服するものであるから,日本が朝鮮に属すべき人に対する主権を放棄するということは,朝鮮に属すべき人が,日本の国籍を喪失することを意味する。したがって,平和条約の発効により,朝鮮に属すべき人は,日本の国籍を喪失することになる。
そして,朝鮮に属すべき人というのは,日本と朝鮮との併合後において,日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位を持った人であり,朝鮮人としての法的地位を持った人というのは,朝鮮戸籍令の適用を受け,朝鮮戸籍に登載された人であるところ,原告の主張によれば,原告は,両親が朝鮮人であり,朝鮮戸籍令の適用を受け朝鮮戸籍に登載されるべき人であったということであるから,原告が出生により日本国籍を取得していたとしても,平和条約の発効により日本国籍を喪失したものというべきである。
原告は,本件通達の発出をもって本件処分とし,本件処分により,朝鮮人の日本国籍喪失という効果が生じたものとして,憲法10条,13条及び14条違反を主張している。
しかし,朝鮮人の日本国籍の喪失は,平和条約の発効により生じたものであり,本件通達は,平和条約の発効により,朝鮮に属すべき者が日本国籍を喪失することを前提として,これに伴う国籍及び戸籍事務の取扱いを示したものにすぎない。
したがって,本件処分の憲法違反をいう原告の主張は前提において失当である。
しかし,昭和36年最高裁判決は,平和条約2条(a)項に,日本国が朝鮮の独立を承認することが規定されていることを踏まえて,その合理的な解釈として,日本が朝鮮に対する対人主権を放棄したものと判断しているのであり,その判断に不当なところはない。
昭和36年最高裁判決は,①日本人女が朝鮮人と婚姻することにより朝鮮戸籍に登載され,内地戸籍から除籍された場合には,法律上,朝鮮人として取り扱われ,朝鮮人に関する法令が適用され,日本人に関する法令は適用されなかったこと,②この取扱いは,旧国籍法により,日本人女が外国人と婚姻することにより外国国籍を取得した場合に,日本国籍を喪失し,法律的には外国人となるのと同様であること,③朝鮮人と日本人とは,法律上明確に区別されており,この区別が日韓併合時から連合国による占領時に至るまで一貫して維持されていたことから,日本国籍を喪失する「朝鮮に属すべき人」とは,前述のとおり,日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位を持った人,すなわち,朝鮮戸籍令の適用を受け,朝鮮戸籍に登載された人である旨判示して,朝鮮人と婚姻した日本人女の日本国籍喪失について判断しているのである。その解釈は,合理的であって,学説にも支持されているものでもあり,原告の主張は理由がない。
昭和37年最高裁判決は,台湾人としての法的地位を有する者も朝鮮人としての法的地位を有する者と同様に,平和条約の発効により日本国籍を喪失するものと解し,ただ,日華平和条約が締結されていることにより,日本国籍喪失の時期を同条約の発効日としているにすぎない。したがって,昭和36年最高裁判決と昭和37年最高裁判決とが整合していないとの原告の主張は理由がない。
樺太及び千島列島の領土権の帰すうや旧樺太土人の帰属国の問題は,朝鮮人におけるそれとは異なる歴史的,外交的経緯を経てきたものであり,平和条約発効による効果が朝鮮人と旧樺太土人との間で異なることになっても,何ら矛盾はない。
領土の変更に伴う国籍の変動については,原告が本件で主張するようなものを含め,国際法上で確定した原則はないのであり,条約で国籍の変動について明文の規定を置かなかったからといって,条約の発効により国籍の変動が生じないということはできない。平和条約には国籍の変動についての明文規定はないが,前述のとおり,昭和36年最高裁判決は,同条約の合理的な解釈をしているのであり,原告の主張には理由がない。
大韓民国においては,南朝鮮過渡政府が,国籍に関する臨時条例(1948年5月11日法律第11号)を制定し,その5条は,「外国の国籍又は日本の戸籍を取得した者であってその国籍を放棄するか又は日本の国籍を離脱する者は檀紀4278年(昭和20年)8月9日以前に朝鮮の国籍を回復したものとみなす」と規定しており,平和条約の発効により日本国籍を喪失した者は直ちに韓国国籍を有するものとしているのであって,無国籍状態になるものではない。この点についての原告の主張は失当である。
原告は,違法な本件処分により,自らの意に反して,出生により取得した日本国籍を一方的に剥奪され,居住している日本において,外国人として無権利状態に置かれるという境遇に長年甘んじざるを得なくなり,そのような状況は今日まで継続している。
したがって,被告は,原告に対し,58年強の長きに及ぶこの間に原告が被った精神的損害を慰謝する義務を負うが,その金額は500万円が相当であり,これに弁護士費用50万円を加えた550万円と,これらに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまでの民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支払うべきである。
原告は,国家賠償法に基づく請求をしているところ,公務員のどの行為について国家賠償法上違法であると主張するものか明確でない。仮に,本件通達の発出行為の違法を問題とする趣旨であるとしても,原告が日本国籍を喪失したのは,平和条約の発効によるもので,本件通達によるものではないから,本件通達の発出行為が国家賠償法上違法と評価されることはあり得ない。
その余の主張については不知ないし争う。
そして,昭和25年7月1日に施行された国籍法も,朝鮮については施行されず,朝鮮人の身分の得喪等は,旧国籍法の規定の内容に準じた慣習と条理により定まるものと解されていた(昭和25年6月1日付け民事甲第1566号法務府民事局長通達)。
前記前提事実(第2の2)に加え,原告の父である金晶は,1925年(大正14年)11月7日に朝鮮の民籍簿に登載されていた金鍾吉の子として出生したとして同民籍簿に登載されていたことが認められ(甲1,9,10),原告は,金晶の子として昭和25年11月27日に日本において出生したものであって,これらの事実を前提にすると,原告は,出生当時,朝鮮戸籍令の適用を受け朝鮮戸籍に登載されていた父の子として出生したものと推認することができ,他に同推認を妨げるに足りる事情は存しない。
以上の認定を前提に,旧国籍法1条の規定を踏まえると,原告は出生により日本国籍を取得したものと認めることができる(なお,原告が現在特別永住者であるとされていることも,上記認定を裏付けるものといえる。)。
(1) ア 本件において,原告は,平和条約は朝鮮に属すべき人の日本国籍の喪失について何ら定めておらず,他にこの点に関する法令の規定はないところ,法務府民事局長が本件通達を発してした本件処分は,根拠なく,朝鮮に属すべき人の日本国籍を奪ったものであるとして,本件処分が無効である旨主張する。
イ 平和条約は,2条(a)項で,「日本国は,朝鮮の独立を承認して,済州島,巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する」と規定している。この規定は,平和条約中の領域に関する定めである第2章に置かれていることからすると,朝鮮の独立を承認して,朝鮮に属すべき領土に対する主権(いわゆる領土主権)を放棄する旨を定めたものであることは明からであるが,国家は,人,領土及び政府を存立の要素とするもので,朝鮮の独立を承認するということ,すなわち,朝鮮を独立の国家として承認するということは,朝鮮がそれに属する人,領土及び政府を有することを承認することにほかならないと解されることからすると,同項は,朝鮮の独立を承認するのに当たって,領土に対する主権を放棄するのと同時に,朝鮮に属すべき人に対する主権(いわゆる対人主権)をも放棄したものと解するのが相当である。
そして,このように,日本が朝鮮に属すべき人に対する主権を放棄したということは,国家の一部の独立の承認という事態に照らし,また,日本の権利等の「放棄」というその文理にも鑑み,日本の国内法上は,朝鮮に属すべき人について,日本の対人主権に服すべき地位である日本の国籍を喪失させて日本の対人主権に服すべき法律関係を消滅させることを意味するものと解される。その上で,上記にいう朝鮮に属すべき人については,日本と朝鮮との併合以来の日本の国内法における朝鮮人としての法的地位に係る経緯を踏まえると,朝鮮戸籍令の適用を受け朝鮮戸籍に登載されるべき地位にあった者をいうものと解するのが相当である(昭和36年最高裁判決,昭和37年最高裁判決参照)。
そして,1に述べたところからすると,原告は,上記のような地位にあった者に当たると認められるから,平和条約の発効によって,日本国籍を喪失したものというべきである。
一般に,領土の変更に伴っては,関係する者に係る対人主権の帰属に関する事項である国籍の変更等が問題となるが,本件全証拠によっても,この点に関しては,国際法において確定した原則が存するとは認め難く,各事案における個別の事情に応じて条約により明示的又は黙示的に定められるのを通例とするものと認めるのが相当であり(昭和36年最高裁判決参照),また,国家の一部の独立に当たり存続する国家がするその承認及びこれらの場合に国家がする主権の放棄の方式等に関しても,同様に,国際法において確定した原則が存するとは認め難いところ,朝鮮の独立及びこれによる関係する者に係る対人主権の帰属に関しては,先の大戦の終了に係る従前の外交的経緯等を踏まえ,既に述べたように,平和条約2条(a)項をもって,国際法上の行為として,日本において朝鮮の独立を承認する旨を明らかにし,併せて日本において朝鮮に対する対人主権を含めての権利等を放棄するとの方法が選択されたものと解され,このような方法が選択されたことについて国際法上問題とすべき点があったとは認められない。
そして,上記の点に関する平和条約2条(a)項の規定にあっては,日本において「朝鮮の独立を承認」すること及び朝鮮に対するすべての権利等を「放棄」することが文言上明確にされていること,国家の一部の独立の承認に当たっては関係する者の国籍の処理が不可避の課題となること,当時の日本の国内法における朝鮮人としての法的地位は,戸籍のみならず適用される法律を異にするものとして,元来の日本人としてのそれとは明確に区別されていたこと等を踏まえると,上記のような文言による規定を含む平和条約の発効により上記のような朝鮮人としての法的地位にあるものについて日本国籍を喪失させて日本の対人主権に服すべき法律関係を消滅させる国内法上の効果が生じたと解することについて,原告の主張するような平和条約の規定の日本国内における適用上の問題が生ずるとはいい難いものと考えられる。
(2) 次に,原告は,本件処分は通達によって原告の日本国籍を剥奪したものであり,国籍の変動について法律によるべきであることを定めた憲法10条に違反している旨を述べる。
ところで,憲法10条は,日本国民の要件を法律で定めることを規定しているが,既に述べたように,領土の変更に伴う関係する者の国籍の変更等に関しては,国際法において確定した原則がなく,各場合に条約によって明示的又は黙示的に定められるのを通例とするものであるから,憲法は,上記の事項について条約で定めることを認めた趣旨と解するのが相当である(昭和36年最高裁判決参照)。そして,(1)に述べたところからすると,原告の日本国籍の喪失の効果が本件通達に係る本件処分によってされたことを前提とする憲法10条に関する原告の指摘は採用することができないというべきである。
また,同様の前提に立って本件処分が憲法13条又は14条の規定に違反する旨をいう原告の主張も,やはり採用することができないというべきである(なお,本件においては,弁論の全趣旨に照らし,原告が,以上と異なる前提に立つものとは解し難い。)。
(3) なお,原告は,昭和36年最高裁判決について,各種の問題がある旨を主張する。
ところで,昭和36年最高裁判決は,朝鮮人と婚姻して朝鮮戸籍に登載され,内地戸籍から除籍された者について,(1)に述べたような考え方に従って,当該者は平和条約の発効によって日本国籍を喪失した旨を判示しているのであり,その判断の過程に矛盾というべき点は見当たらない。
さらに,原告は,平和条約により日本国籍を喪失した朝鮮人が無国籍状態になる旨主張するが,平和条約の発効によりある者が日本国籍を喪失するということと,その者のその後の他国等における国籍に係る法律関係のいかんとは,別個の事柄であり,この点に関する原告の主張は,既に述べたところを左右するものではない。
原告は,本件処分が国家賠償法上違法である旨を主張しており,本件通達の発出行為をもって加害行為に当たると主張するものと解される。
しかし,2に述べたように,原告の日本国籍の喪失の効果は,本件通達の発出によるものではないから,その余の点を問題とするまでもなく,原告の国家賠償請求は理由がないといわざるを得ない。
よって,原告の請求はいずれも理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
佐藤昌永,石井博之,前畑聡子,上坪健治,天野豪
(a) 日本国は,朝鮮の独立を承認して,済州島,巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。
(b) 日本国は,台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。
(c) 日本国は,千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。
(d)ないし(f) 省略
1条 子ハ出生ノ時其父カ日本人ナルトキハ之ヲ日本人トス其出生前ニ死亡シタル父カ死亡ノ時日本人ナリシトキ亦同シ
2条 父カ子ノ出生前ニ離婚又ハ離縁ニ因リテ日本ノ国籍ヲ失ヒタルトキハ前条ノ規定ハ懐胎ノ始ニ遡リテ之ヲ適用ス
前項ノ規定ハ父母カ共ニ其家ヲ去リタル場合ニハ之ヲ適用セス但母カ子ノ出生前ニ復籍ヲ為シタルトキハ此限ニ在ラス
3条 父カ知レサル場合又ハ国籍ヲ有セサル場合ニ於テ母カ日本人ナルトキハ其子ハ之ヲ日本人トス
近く平和条約(以下単に条約という。)の発効に伴い,国籍及び戸籍事務に関しては,左記によって処理されることとなるので,これを御了知の上,その取扱に遺憾のないよう貴管下各支局及び市区町村に周知方取り計らわれたい。
記
(1) 朝鮮及び台湾は,条約の発効の日から日本国の領土から分離することとなるので,これに伴い,朝鮮人及び台湾人は,内地に在住している者を含めてすべて日本の国籍を喪失する。
(2)から(5)まで 省略
朝鮮人及び台湾人に関する国籍及び戸籍の取扱いについては,新国籍法施行後も従前と異なるところはない。