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凡例[ ]内は引用者註


甲13号証

佐藤文明講演録

講師略歴:
佐藤文明(さとうぶんめい)。フリーランスライター、戸籍制度研究者。1948年生まれ。自治体労働者(東京都職員−新宿区役所戸籍係)を経てフリーに。「私生子」差別をなくす会、韓(ハン)さん一家の指紋押捺拒否を支える会などで活動しながら、社会派ライターとして広い問題を提起。2011年1月逝去。
著書
『戸籍』『戸籍がつくる差別』『戸籍うらがえ史考』『戸籍が見張る暮らし』『戸籍って何だ』『ボクの名前はボクのもの』『知っていますか?戸籍と差別一問一答』『〈くに〉を超えた人びと』『在日「外国人」読本』『個人情報を守るために』など多数。
編著
『ひとさし指の自由』『指紋拒否者が裁いたニッポン』
共著
『戸籍解体講座』『トランスジェンダリズム宣言』『同性パートナー 同性婚・DP法を知るために』『私を番号で呼ばないで』『監視社会とプライバシー』『IT革命の虚構』など多数。
講演日:
2010年12月4日(土曜日)
講演会場:
東京都千代田区神田淡路町一丁目21番7号 静和ビル1階A室
ピースネット事務所

凡例〔 〕内は校正者註

1 容態について

今日、こんなに集まってくれてありがとうございます。僕の容態から話すと1年ちょっと前に、僕が癌で三分の一くらいの確率でいなくなるか、声が出なくなるか、元気になるかの三択だという話をしたと思います。その後手術をして経過を見たんだけど、どうもうまくいっていないです。いまのところ見た目は元気なんですが、確実に転移癌が育っています。止める手段が見つからないんですよ。普通は抗癌剤をやって、転移癌の場合にはいっぱい散っているので、どこか手術といっても意味がないから全体を抑え込まなくちゃいけないんだけど、全体を抑え込むには抗癌剤が一番適当なものだとされている。だけど、それ自体が僕の体が受け付けなくて、入院してやったんだけど、体の方が拒否してしまって、これはだめだといって出されてしまったわけです。出されたということは、もう手がないということなんです、近代医療としてはね。あとは神様に祈るか、わけのわからないものを使ってみるか。いろいろ評判のいいものもあるんだろうけど、その辺はいま僕は区別できないから。とりあえずはできるだけ自己回復というか、食事とか運動とかそういうことに気を付けながらやろうと思っていますが、いま体力不足だから自己回復そのものがやばい状況なんです。

癌とは関係ない普通の病院に月曜日から数日入院します。これは体力回復のためだけの入院です。出てからどうしようかなぁというのが現状なんです。よほどラッキーなことがなければ、せいぜい半年ですね。こんなふうに言っているから信じないかもしれないけども、まあそんなもんでしょう。いろんなことを調べてみてもそんなものだろうと思っています。

去年〔2009年〕の9月に手術したのですが、それ以前に去年の2月の段階で癌だということがわかっていました。これがなんで9月まで伸びたかと言えば、食道と喉頭との一番上のところで手術が難しいのですが、一番名医と言われる執刀医に見てもらったら「喉を取らずに治すことは無理だ、手術はできない」ということで、要するにほとんどつながっているわけですよ、気管と食道がね。「手術すれば声はなくなるよ」ということで「ちょっと待ってくれ、僕まだ話さなくちゃならないことがいっぱいあるんだ」と。実はあったんですけどね、そのとき。だから少し待ってもらうということで、その前に一度放射線治療で抑え込みをしたんです。それが成功とまでは言わないんだけど、半分成功、半分失敗という非常に難しい変な結果になりましてね。一番上の声帯の部分をいじらなくても、その下だけカットすれば何とかいけるということになって、それが半分成功、半分失敗なんですよ。珍しいねという話なんです。結果的には去年の9月に上を残して下だけの手術をしました。それでいまに至っているわけです。一回放射線していますからもう二度と放射線治療はできないので、抗癌剤以外もう手はないんです。僕の場合には、最初から半分取ったと言っても、成功している半分が完全に成功しているとは誰も言えません。そこから転移しているとか再発するとか、いくらもその可能性がありました。やはり転移は避けられなかったということで、それが着々と蝕んでいる状態です。ただ個人的にはまだ元気なんで、やれることは残っています。そんな状況ですね。

2 著書について

この『ウーマンリブがやってきた』という本ですけども、これ実は前から出してくれって言われていました。だけど、これっていつ出さなくちゃいけないというタイムリーな本と関係ないので、ついついそういうものは後回しになってしまう。これ自分の回想録です。書き進めてはいたんだけども、いつ出るかなぁみたいな感じでいました。最初に手術する前には原稿がほとんどできあがっていました。手術が失敗しても本は出るという状態になったんです。ご存知のように、その後、手術は一応成功して、時間があったので、再度手を入れてもっと読みやすいものにしたのがこれです。だからあたかもこれが最後だと、遺書みたいな感じになってしまうんですよ。そういうつもりで書いた本ではないし、僕としてはこれの続きをまだ書くつもりでいたわけです。結果的にはこの次はもう無理でしょう。だから遺著になるんでしょうけどね。

でも、そのあとにまた本が出た。こっち〔『知っていますか?戸籍と差別一問一答』〕の方があとなんです。日付けを見ると15日違いです。こっちは今年〔2010年〕の3月に頼まれたんですよね。時間がないのはわかっていますから、どうしようかなぁと。そのときに別な本を頼まれていたわけで、それをやればこっちができないだろうと。これを書けば、それまで約束したのを諦めなくてはならなくて、断らなくいは[断らなくては]いけないですよね。どうしようかなぁと思ったんだけども、これまでの僕の経緯からいって、ここで戸籍のことをいったん整理しておかないといけないんだろうなと。ある種の責任というかそういうのもありました。出版社もそうなんですよ。解放出版とはいろんな意味で付き合いがあって、お世話になっていて、何かしなくてはいけないなとは思っていたんですけどね、ついつい他の仕事を入れてきたわけです。やはりこれ以上もう時間がないのであれば、せっかく声をかけてもらったので、今回これを書こうということにしました。抗癌剤治療する直前に原稿があがりました。これがほんとうの遺稿になるわけですね。このあとは本はもう書けません。

これ、なぜ持ってきたかというと、実はもう中身が古いんですよ。このあとに大きく変わってましてね。まずは外国人登録法そのものが廃止されますでしょ。住基ネットも随分状況がもう変わってきていますよね。ただここに書いてある骨格は変化ないですよね。この問題は解決しなくてはいけない問題で、特に在日の国籍の問題は、僕にとっては戸籍の問題とウェイトとして半々ぐらい重要な問題なので、次にもし書くのであればこれ関係でしょうね。でもそれができないだろうと思います。いま書き始めています。でも、それは非常に変な書き方をしています。つまりどこで書けなくなっても、とりあえず前後の脈絡がつながるような書き方というのか、そんなことできるのかなぁと思ってみるんだけど、とりあえずそういう書き方を始めています。

3 在日外国人をめぐる動きについて

最初に、ちょこっと外国人登録の話をしておきたいんですが、この9月8日にキム・ミョンガンという男が、僕の友だちなんですが、日本国籍確認訴訟というのを起こしました。自分にはまだ日本国籍があるはずだと、だから日本人として認めろと。これは在日の運動系から言えば、裏切りだというのがかつての強い反応で、日本人になりたいのかという話になってしまう。だからある種のタブーで、そのタブーに挑戦してきた人が宋斗会さん、ソン・ドゥフェさんという京都の人で、この人は変人だということで有名で、変人だからこそ、そういう裁判も起こせたわけです。それに次ぐ人が何人か同じ訴訟を起こしています。でも宋斗会さん含めて全部負けています。

この訴訟がどういう訴訟かひと口で言いますと、サンフランシスコ平和条約〔日本国との平和条約〕が1952年4月28日に発効されるわけですが、その日からそれまで日本国籍を持たされていた在日朝鮮人・台湾人に対して一方的に日本国籍を剥奪した。もうちょっと詳しくご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、サンフランシスコ条約発効の9日前に法務府民事局長通達〔1952年4月19日民事甲第438号〕が出されます。サンフランシスコ条約が発効すると日本国籍がなくなります、という通達がでたわけです。その日をもって剥奪されたんだとされてきています。僕も、それはひどいことだけど、日本政府が一方的に剥奪したんだと言ってきました。ほとんどの学者たちがみな同じ意見で、ひどいけれども剥奪されたんだということですね。逆にそれを逆手にとって、そんなひどいことをやったけれど、もうここまで来たら取り返しがつかないので、そうなったら戦前からいる旧植民地の在日韓国・台湾・朝鮮人に対しては特別扱いしなくてはいけないのではないか、ということで特例法〔日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法〕ができたりしてきたわけです。だから外国人ではあるけれども、ある部分では登録法や入管法を緩和して、少し日本人に近づけた扱いをするとしてきたわけですね。その運動が強まって行って、最近では地方参政権くらい取れても当然じゃないかという主張が受け容れられて、国会でもそれは上程されるというところまで来たわけです。

ところがいま行き詰まっています。在特会なんていう変なやつが出てきたりして、政治の世界ではかなりシビアな問題になっています。日本政府が一方的に奪ったんだということは広く認められるようになってきました。ではどうするというところになると、日本政府ももちろん、ひどいことをしたと謝るけれども、謝ってすむ問題ではないということですね。ではしょうがないから日本国籍は与えないけど、地方参政権くらいは与えてもいいのではないか、というのがこの間の流れですが、それさえも許せないという在日特権を許さない会、在特会がいま反対運動を激しくやっています。この運動もそうですが、国会の流れも民主党になってプラスになっていくと思ったら、国民新党が反対するなかでほとんど動きがない。多分このまま握りつぶされていってしまうのではないか、というのがいまの状況です。

進もうとしたところがストップされた。前進が阻止された、でもいつか前進が来るだろうと受け止めることができるかもしれません。しかし、その反動の勢いというのは決してそこに留まってはいない。特権がこれ以上進むのを止めるというのではなくて、いままで取ろうとした特権そのものもつぶそうとしてきていて、極めて巧みな動きをしてきたわけです。一つは、もう日本人にしてしまおう、日本国籍を与えてしまおう、という意見さえも右翼の側から出てくる。そういう予想もしなかった動きがあって、いまどうなっているかと言うと、その特権を逆に締め付けてしまおうということになってきています。単に参政権が手に入らなかったというだけではなくて、これまで手に入っていた、入管特例法で特別扱いしてきたことをやめていこうという流れになってしまっています。巧みな方法なのでみんな気がつかないんですね。

外国人登録法が廃止される、別な言い方をすると在日外国人も日本人と同じ住民票に登録される。これが2013年に[2012年7月9日に]始まる。みんなそれを変なふうに歓迎しているんですよ。反発しているんですけど、腹のなかでは反発じゃなくて歓迎しているんです。「日本人と同じなんだからいいんじゃないか、反発する理由はないな、だけどせっかくなのになんでまだ外国人登録を持たせられるんだろう」と。反発はそちらに行ってしまうわけです。

それから今回起きた外国人登録大転換のなかで一番ひどい目に遭うのは、新規に入国して来る、とりわけアジア人ですよね。そういう人たちに対する弾圧が非常に目に見える形で出てきていますので、批判も全部そちらに行ってしまう。もう在日の問題は終わったんだと、これからの問題は新規入国のアジア人労働者をどうするかというその扱い、処遇をめぐって、主戦場になっていくんだという流れになっている。これが現状です。

2013年[2012年7月9日]、予定どおりには多分いかないでしょうけど、法律が通ってしまっています。あとは施行されるのが2013年ですが[2012年7月9日ですが]、反対なんか全然ありませんでした。社民党は反対しましたけども、社民党自体が反対しているのではなくて、社民党でよくわかっているやつらが反対しただけという、非常に心細い状況です。在日の団体でもまともに反対しているところはどこもない。批判はするんですけど、それはもっと有利な状況を作り出そうとしているだけで、問題がわかっていないんですよ、自分たちが何をされているのか。

つまり大きな間違いは、外国人登録が廃止されて日本人といっしょに住民登録に入れられるんだ、住民登録に移されるんだ、というのがとんでもない間違いなんです。そうじゃないんですよ。住民登録には住基ネットというのがあるので、政府は入れたくてしょうがないんです。外国人であれなんであれ、いっしょくたに入れたいわけですよ。住民票のなかで差別すればいいわけですよね。住民票のなかの記載が問題なのに、そこは誰も何にも言わない。住民票のなかでひどい差別が起きるんですよ。それにもかかわらず、外国人はこれから住民票に無理やり入れさせられるんですよ。これと外国人登録が廃止されるのとは全然別問題なんです。外国人登録が廃止されてどうなるのかというと、外国人の個人情報は全部法務省が握ります。これまでは自治体が握っていたんですよ。その自治体の権利を取り上げて、法務省入管局がそれを手に入れ支配します。そして自治体に必要な情報は、自治体が法務省からいただくという形になる。 これは日本人と同じなんです。日本人は住民登録するときに、住民票のいろんな情報、ほんとうは戸籍とは関係ないはずなんですよ。それはよくわかっているはずなんだけど、菅原さんなんかはそれで闘っているのに、戸籍がなければ住民票を作らないという馬鹿な話が出てきたわけです。あれはこれから起きることの下地だったんです。要するに、住民票というのは国が持っている情報をいただいて初めてきちんとしたものができるんだ、というように仕組みを作り直したわけです。

そうすると外国人で住民票に入った場合も同じだと。でも外国人には戸籍がないじゃないかと。だから戸籍情報を全部入管局で集めましょう。そして自治体が必要な情報はそこからもらいなさいよ。こういうふうになったわけです。 最初のころ、この大改正があるときに政府は、外国人仮戸籍を別途に作ると言っていたんです。ところがこの法案ができて、実際に法改正に至るまでに、外国人仮戸籍なんて話はどこからも出てこない。ひとことも漏らされない。じゃあ作らないで済むのかというとそうじゃないんです。この国の管理というのは、そういう身分管理、戸籍上の管理をきちんとやったものを住民票に落としてくるという発想から抜け切れなくて、ますますそれが強まっている状況です。それが菅原さんの事件〔「なくそう婚外子差別つくれ住民票」裁判〕ですよ。これを外国人にも適用するわけだから厳しくなる一方です。だから仮戸籍を作らなくて済むなんてことはありえない。

ではなぜ仮戸籍と、きちんと言わないんだ。仮戸籍と言ったとたんに、その中身はどうなんだ、そこに差別はないのか、そこに婚外子差別はないのか、外国人に婚外子差別なんてないのに、外国人登録にはなかったそんなものが導入されるんだとか、いろんな問題が出てきてしまいます。そうすると戸籍を作るなんて言わない方がいい。黙っている。なにせ今度は戸籍じゃないんです。出入国管理局が全部自由に扱うことができる外国人の情報に過ぎないんですよ。 外国人には人権がない。これはアメリカが言っています。日本はそれに賛成をして国連でもアメリカを支援しています。だからもちろん憲法を適用する必要はない。外国人仮戸籍なんていうのは法律として作る必要もない。そのなかにいかに差別が溢れていようが関係ない。その中身を、どういう登録をするかさえ見せる必要などない。廃止された指紋を新たに取り始めても誰にも文句を言わせない。アメリカは取ってるわけでしょ。そういう仕組みにこれから変わるんです。外国人登録法というのはそっちに変わるんで、外国人登録法から住基ネットや住民登録に変わるわけではないんですよ。みんな完全に騙されてしまっている。

これからめちゃくちゃにひどいことが起こる。そういうひどいことがよくできるね、と言うんだけど、考えてみると戦前の日本はそれをやってきているんですよね。僕らは戦前の日本には外国人登録法なんてなかったと言うのだけど、外国人登録ってありました、外国人登録法がないだけで。外国人登録もあったし、外国人登録証もあったし、データベースを書くための帳票なんかも全部あった。そこにはもちろん指紋欄もあります。要するに警察官が自由に調べ回って、あることは何でも手に入れてそこに記入する、それだけの話なんですよ。戦前の日本はそれをやってきているんですよ。戦前の日本でどこがやってきたのかというと内務省警保局外事課というところです。この警保局外事課というのは、戦後どこに行ってしまったのか。その組織はそっくり法務省出入国管理局なんです。だからやつらが戦前の権力を手に入れ直したということなんですよ。この外事警察というのは、特高警察と並ぶ最悪の捜査機関ですからね。人権なんて全然問題外のところです。そういう連中の最後の生き残りが、かつての自由にできた一番いい時代を再現したいという夢がかなったわけですよ、ここにきて。こういう恐ろしい時代が来ているのに誰も気がつかない。そういうことで僕は怒り心頭にきています。

4 日本国籍確認訴訟について

前からミョンガンが、自分は日本人だという裁判をやりたい、と僕にはずっと言ってきてたんだけど、ぜひやったらいいんじゃないの、という話で。ちょうど〔韓国併合〕100年ということになりますし、9月8日にやったというのはサンフランシスコ条約の締結の日なんです。それにあわせて提訴したということです。予想どおりですが提訴しても何の反響もない。在日も何の関心も持たない。そんなことでいいのかね。自分たちがどういう運命に置かれているのか全く知らない。

僕は、法務府民事局長くんだりが通達で、国籍という人の決定的な運命を左右するような大事なものを奪ったり、一方的に押し付けたりすることはできないと思っています。許せないと思っています。法律的にもそんなことはありえない。だからまだ日本国籍を持っているんだと、つまり重国籍状態にあるんだと、日本国籍も韓国朝鮮国籍も持っているんだと考えてきたわけです。そういう主張でちゃんと裁判やりましょうという動きです。

これまで「奪われてきた」と言ってきましたが、その言い方をやめて「奪おうとしてきて、いま奪いつつある」経過状態なんですよ。みんなが忘れてしまえば、奪われたことになるわけで、だけどみんなが覚えている限りは、法律上まだ持っているだろうというのが僕の考え方なんです。

だけど僕も非常にいい加減な人間でした。そういうふうに言われていると。何人かの偉い学者たちがみんな「奪った」と言っていると。奪ったという経緯そのものは、そのとおりだと僕は納得してきたんです。だけど最初の通達はおかしいよと思ってきたんですけどね。この間、僕が何をしたかというと、最初の「奪った」通達がどういうふうに書いてあるか、それが裁判になってどう解釈され、どう適用されているか全部読み直してみたんです。そうしたらとんでもない錯覚をしていたことに気づきました。

日本政府は奪っていません。在日外国人から日本国籍を奪っていません。日本政府がやったのは、外国人と結婚した日本人女性から日本国籍を奪っただけです。外国人から国籍を奪う場合に、外国を無視した条約だとか、あるいはきちんとした法律も作らずに奪うということはさすがにできない。だけど日本人女性から日本国籍を奪うということは国内問題なんですよ。外国からくちばしを挟まれるような問題ではないんですよ。だからやれたんです。ところがその当時、サンフランシスコ条約が発効したとき、未だに日韓基本条約ができていなくて交渉中だったわけですよね。あのときに、もし公式に日本政府が在日の韓国朝鮮人から日本国籍を奪っていたら、その時点で日韓交渉というのは決裂していたはずなんです。交渉にもならない。日韓地位協定のなかの細かい話でそういうのが出てきています。「日本ではまだ奪っていません。法律もできていません。だけどいまからまだ持っているということになると大変なことになるので、そこはちょっと口をふさいでくれないか」と日本政府が頼んでいるわけですよ。それに対して韓国政府は「国際法から考えても人権から考えても奪うのはおかしいんだ。どうしてもダメだと言うのだったら賠償金を積み増ししろ。それから簡単に日本人になる方法を作り出せ。それで日本国籍を選ばずに残った人でもできるだけ日本人と対等に扱え。」こういうふうに主張したんですね。

それでも折り合いがつかなかった。だから先にサンフランシスコ条約が締結され、施行されてしまったんです。最初はそれ以前に決着はさせて、サンフランシスコ条約には当事国である台湾も韓国も出席するはずだったんです。当事国がいない平和条約を作ってしまったわけです。戦勝国対日本というおかしな条約になっていて、これ以上言うとサ条約の問題になってしまいますが、サ条約は植民地責任を一切取っていないし、それに関わる戦勝国と日本との間の締結も何一つされていません。国際平和条約として完全に不備なものですね。 ただし、これをめぐって、それ以前に日本人に対する通達を出さざるを得なかったのを僕は理解するんですよ。戸籍の仕事というのは毎日あって、条約締結が発効される前の日も次の日も同じように戸籍の窓口に届け出る人が来るわけですからね。この場合で言えば日韓の間の婚姻届に来るわけですよ。それに対してどう始末するかという仕事上のルールというのはなくては困ります、戸籍係が仕事できなくなってしまいますから。そのために出されたのがあの民事局長通達なんですよ。だからあれは在日朝鮮人・台湾人とは何の関係もない通達なんです。

ところがこれを誤解して、あるいは拡大解釈して。まあ誤解されるような文書ですよ、あの通達の中身はね。その日から外国人から日本国籍を剥奪したんだと言っていますが、じゃあどうやって剥奪したのか。行政マンですからね、戸籍係としては。どうやってという方法・手段、当然それを考えなくてはいけないじゃないですか。そんな方法ないんですよね。外国人から日本国籍をどうやって奪うのか。もともと外国人の日本国籍なんかないんですよ。敗戦によって、敗戦よりも一週間くらい前からだろうけど、すべての交流は滞ってしまっています。だから台湾の戸籍も朝鮮の戸籍も日本には入ってきません。もちろん日本の戸籍も向こうには行きません。情報の交流がないんですよ。台湾人・朝鮮人の戸籍というのは日本にはないんですよ。ないものをどうやって奪うんですか。奪いようがないじゃないですか。

ただし日本女性からは奪うことができるんですね。戸籍があるからなんです。もちろん日本女性から奪うこともとんでもない話なんですよ。外国人から奪うよりももっと根拠がないんです。だけど奪ってしまった。それは職務命令としても奪えてしまう。一方的に。たとえば韓国人と結婚した日本女性は韓国の戸籍に記載され、日本の戸籍からは削除されたんです。だからもう日本の戸籍はないんですよ。これは妻は夫の戸籍に入る、夫の家に入る。この規定から来てるんですよ。根拠法はそれなんです。それどころか戦前の日本は国籍も失ったわけです。そもそも外国人と結婚した日本人女性は外国人になるわけです。逆に〔日本人〕男性〔と結婚した外国人女性〕は日本国籍をもらえるんですよ。これは当時の家父長制の血統主義国籍法をもっている国はみんなそうでした。結婚すると妻は夫の国籍になったんですよ。日本と植民地との間の場合には、韓国にも台湾にも戸籍そのものはありますからね。国籍を奪ったわけではなく、戸籍の異動なんです。戦後、戸籍の異動を理由にして、向こうの戸籍になってしまったんだから、日本人女性をもう日本人じゃない、あんたは韓国人と結婚したんだから韓国人だと。これが民事局長通達なんです。実際そのとおりなんです。つまり戦前結婚した人は削除して、その日から韓国だったら韓国の戸籍に載ったわけです。だからもう日本には戸籍がないんです。それ以後戸籍は奪うことができないんです。

つまりわかりにくいんだけど、民事局長通達というのは戸籍や国籍を奪え、という通達ではないんですよ。もともとないんですから。問題なのは敗戦によって外地を失ったにもかかわらず、内地と外地との間の関係を決めた、戸籍の異動を決めた共通法という法律があって、その共通法が生きているということが問題なんです。敗戦と同時に、ポツダム宣言受諾したと同時に、そんな法律は廃止されなくてはいけなかったんですね。とっても厄介な話になってしまうんで、簡単に言っておきます。その後もずっと4月28日のサ条約発効の日まで、この共通法という法律に基づいて韓国人と結婚した日本人の戸籍は削除されました。実は削除されていないものが大部分なんですけど。ここまで細かくなっちゃうとわかりにくいか。

とにかく外国に送れないわけですからね。普通はどこどこ誰々と、台湾何々村誰々と婚姻、送付除籍とやって、ばってんが付いて消えるんです。4月28日以前には共通法が有効だったんで、共通法に基づいて削除というのが名目として生きていた。だけど戸籍担当者から見たら「日本は非常にやばいことをやっているな」と。日本女性から日本国籍を削除してしまって、その後のデータはもうないわけですよね。「こんなことしていて戸籍が維持できるのか。いつまでも共通法を使っていたらやばいぞ」と。

担当者はみんなそういうことはわかります。なぜかというと、沖縄の人たちは同じ運命に遭っているんですよ。ところが沖縄の人たちの戸籍というのは、福岡に沖縄関係戸籍事務所というのを立てて、そこにちゃんと送付しているんですよ。あたかも沖縄県というのが福岡の法務局のなかにできたようにして、全部の事務処理を扱っていました。つまり、敗戦のときに放っておけば戸籍が危ないんですよ。ぐちゃぐちゃになってしまうのはわかりきっている。守るには沖縄関係戸籍事務所みたいなものを作らなくてはいけなかった。日本政府は知っているんです。ということは、敗戦と同時に朝鮮関係戸籍事務所とか、台湾関係戸籍事務所とかを作らなくてはいけなかった。でもそれをやらなかった。ただただ奪いっぱなし、捨てっぱなし。もうあのときにいらないと思っていたんでしょうね。敗戦ということで、管理は俺たちもする必要ないし、ちょうどいい、追い返してしまえばいいんだ、と思っていたと思うんです。だけど担当の戸籍係としたら「ひどいことをするな」と。みんな知っていましたよ。沖縄関係は沖縄関係事務所に送付するんですからね。なぜ台湾や朝鮮に対してはそういうことを適用しなかったんだ。みんなおかしいなと思っていたわけですよ。ただ勝手に奪って消してやってそれでいいのか。

4月28日の通達によって1952年4月19日の通達によって]何が起ったのかというと、奪ったんじゃないんですよ。あの日から奪うのをやめたんです。つまり日本女性が韓国人と結婚しても国籍の変動がなくなったんですよ。日本人が外国人と結婚しても戦前は日本国籍を失ったんですが、戦後には男女平等ということがあって国籍の変動をしない。だから戸籍を削除するなんてことも、もちろんない。4月28日からはアメリカ人と結婚したのと同じ状態になったわけです。ただ、どこどこの国の人と結婚と書いてそれで終わり。そのあとの送付除籍がないんです。やっと健全な戸籍に戻ったな、ほっ、というのが戸籍係の率直な感想ですよ。まさかあれが旧植民地の、台湾・韓国の人たちの国籍を奪ってしまう通達だなんて思ってもいなかったと思います。むしろこれから、削除してしまった日本人女性の戸籍回復という特別法が制定されて当然だろう、そう考えていたと思います。ところがみんなが誤解して「奪われた」「奪った」となってしまったために、そういう声がその後掻き消えて、そのままになって現在に至っているんですね。一応ここで一区切りします。

ついでに言っておきますが、共通法という法律はいつなくなったか。なくなっていません。いまも有効な法律です。信じがたいです。そのくらい杜撰なんですよ。利用するときは利用して、何の必要もなくなったときには廃止もしないんですからね。そのまま放っておくだけなんです。まあそんなものがこの国なんなんだということで、とりあえず僕の話はおしまいにします。

5 質疑応答

(参加者)

どこかにいまの話をまともに書いたものってあるんですか。

(佐藤)

全くないです。

(参加者)

奪っていないのに日本国籍を奪ったと、みんなが誤解したというのですが、それはどういうふうにして。

(佐藤)

簡単に言えば、最高裁がそれを踏襲したからですね。最高裁は拡大解釈をしてしまったわけですよ。日本人女性に対する通達に過ぎないものを。

(参加者)

その最高裁判決はいつですか。

(佐藤)

50年代です。最高裁の判決はいくつか出ています。そのすべてが負けているんですが、焦点の在日韓国朝鮮人の裁判というのは一つも最高裁に行っていません。その前にみんなやめてしまっています。勝ち目がないということでね。つまり「常識」がまかりとおってしまったんです。あそこで奪った、奪われたという「常識」が。ところが間違っているのは最高裁なんです。最高裁、それも大法廷なんで、だれもこれに対してクレームをつけられない。だけど大法廷が間違ったんですよ。

(参加者)

キム・ミョンガンさんの裁判のことをもう少し詳しく教えてください。

(佐藤)

日本国籍確認訴訟というのは、何か事件があって、それに対する裁きではないんです。日本国籍があるかないかを確認してもらう訴訟なんです。これはいろんなことで可能らしいんです。たまたま日本国籍はどうかという場合に確認訴訟という手段があるわけです。当然相手は政府です。宋斗会さんが最初に始めたと言いましたが、それ以前にたくさんの訴訟が起きていて、それは全部日本人女性の裁判です。台湾人、韓国朝鮮人と結婚した日本人女性の裁判で、非常に素朴なんです。日本人として日本人と結婚したわけですよね、当時は。だから日本国籍を失うつもりはない。外国人になるつもりもない。もっと極端なことを言えば、日本で生まれて日本から出たこともない。相手の男性だってそうだ。それにもかかわらず法律や国際情勢が変わって、いつの間にか日本国籍がないと言われた。そんな馬鹿な、そんなはずはないだろうというのが日本国籍確認訴訟で争われたわけですね。

そのほかにも争われたのがいっぱいありますよ。たとえば外国人登録法違反で捕まった人が、自分は日本人なんだから、なんで外国人登録法違反なんだ、ということで裁判になりました。これもみんな負けています。つまり民事局長通達が出て、日本国籍が失われたんだから、あんたには日本国籍はないんだと。だからあんたは外国人だよということです。

これには問題はたくさんあって、問題点を指摘しようとしています。キム・ミョンガンもそうですし、彼の弁護を行っているチャン・ハンニョン弁護士も裁判をやりきろうとしています。僕もそれを支援しようと思っていたんです。ところがもっと問題は根が深かったんですね。それがいま話してきたようなことです。

結局誤解なのか、あるいは最高裁と日本政府がどこかで腹を合わせて膨大な策略を練ったのか。あらゆる可能性があります。いずれにしても、剥奪の論理は成立しないんです。

(参加者)

マスコミは条約発効直後から剥奪されたことを報道し始めたんですか。

(佐藤)

マスコミといっても朝日新聞がこのケースを小さなニュースにしただけで、その時点ではあまり注目されていなかったんですよ。在日にしたって日本国籍はいらないというのが本音でしたからね。いじめられただけで、日本人になったとしたって差別受けるわけでしょ。何の得もないわけですから。だから本気になってこれを問題しようと[問題にしようと]しなかった。これは民団にしても総連にしてもそうなんです。それはある意味やむをえないことです。みんなあの頃は朝鮮半島に帰りたいと思っていたわけですよ。こんなひどい国にいたくないと思っていたんです。でも実際には世の中ってそうはいかない。もう定住するしかしょうがないわけですね。そうしたら子孫をなんとか大事にしなくちゃいけないし、その権利を守らなくてはいけなくなってきたわけです。大きな流れは少し変わってきたんですね。そのなかでいち早くそれを実感していたのが在留権運動。在留権の運動そのものも当時は無視されていた。みんな自国に帰るのが先で、日本に留まることを前提で権利をよこせなんていうのは馬鹿げた話だった。いまこうなってみると、きちんとあのときに在留権を主張して、権利を取っておくべきだったんです。

でもその後そういう主張をして次々と手に入れてきた権利は、とても僕は大事だと思っていますし、そういう主張の仕方や運動は「あり」だと思っています。だからそれに対して怒っている在特会みたいなものは、僕は許せないですよ。そのあと手に入れたさまざまな在留権、特別な権利、外国人では手に入らない一歩超えた権利は、僕は全部大事なものだと思っています。いまさら奪われるべきものではないと思います。

キム・ミョンガンも考え方は同じです。ただ、日本政府があのときにやったことはおかしいんだということを明らかにしたい。それだけなんです。もっと言えば、キム・ミョンガンは個人的には日本国籍をもらったときには二重国籍になりますから、その時点で国籍選択権をよこせと。そうしたら日本国籍を捨てる、と言っているわけです。つまり捨てる権利をちゃんと自分で手に入れたい。一方的に奪われたことがおかしいんだと言っている。これはもっともな話だと僕は思います。単なる意地とかそういうことだけじゃなくてね。

(参加者)

ここの論調をきちんとしないといけない。この問題に限らず、日本の行政や政府がいろんな問題で法律に忠実じゃない。そのいい加減さが、みんなの生活を圧迫して苦しめている。こんなに法律に従わない国は世界中でどこにあるのかと常々思っている。さっきの国籍を剥奪したというのも、意図的というか捏造というか、権力がやったんだろうなあと感覚としては思っている。

文明さんがずっとやってきたことをいまの話を含めて考えてみると「非嫡出子」「私生子」という形で大きな女性差別と子どもの人権侵害をしているというところから出発して、僕の税金の裁判とかやってきた。そのなかで、日本の法学のレベルも戦後家族法は民主化されて解放されたというのが学者の一般的な見解だったんですよ。僕が裁判やるときにいろいろと学者を回ったら、日本の民法、親族法は家族法という形で民主化されて何の問題もないでしょう、と。あなたたち何が問題だというんですか、というところから始まった。福喜多さんの活動もあって、それはおかしいんだと、戸籍にも由来していて、民法自体もおかしいということをやっと70年代から学者が言い始めました。いまの問題だって学者が権力とかを鵜呑みにして研究がその先に進まない。ここのところを超えていかなくてはいけない。単に感情の問題だけではない。文明さんが気づくことをなぜほかの学者がいままで何も気づかないのか。

僕は民法から親族の規定を削除しない限り、ずっとこの問題が残っていくと思っています。それを言っても誰も知らんぷりして応えてくれない。文明さんが言ったようなことは僕らとしてはとても調べきれないので、学者・研究者がきちんと検証して、論証してほしいと思います。ほんとうに文明さんが、あと半年と言わずに、そこのところをちゃんとやってから、閻魔大王に代わって審判しなきゃいけないなと思います。

(佐藤)

さっき最高裁大法廷50年代と言ったんだけど、間違いです。1961年です。61年4月5日に出た判決です。この判決もすごく読みにくい珍しい判決です。明らかに民事局長通達を鵜呑みにした判決なのにもかかわらず、通達からは一行も引用してはいないんですよ。独自判断で独自解釈したように見せています。だけど結果は同じです。民事局長通達が理由ではないんですよ。サ条約の発効で失われたんだと。これは民事局長もそう言っています。それと同じことを改めて最高裁が言ったわけです。しかも大法廷でね。

(参加者)

サンフランシスコ条約発効で日本国籍が剥奪されたと言ったら、自動的に、たとえば韓国国籍として国際的に認められたということになるのか。

(佐藤)

ならない。

(参加者)

ならないでしょ。

(佐藤)

とにかく法的にはめちゃくちゃで、そこは個別に批判はされている。だけど全体構造としてはやむをえなかったとか、時期的には仕方ないとか。

(参加者)

私も常識的にこれまで民事局長通達と法律126号〔1952年法律第126号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律」〕はある意味でセットだと理解していたわけですが、いまの佐藤さんの話だと必ずしも民事局長通達と法律126号とは関係ないということですか。

(佐藤)

そこは僕も結論を出せないです。つまり、すごく深く両者がタイアップして役割分担した可能性はある。だけど別々であった可能性も非常に高いんです。ただ民事局長通達が最高裁であんなに100パーセント丸々受け容れてもらえるとは、実は法務省は思っていなかったのではないかと思うんですよ。それどころか、わざわざ大法廷まで開いてしまって、丸々以上にサポートしてくれた判決だったわけですね。だから法務省は大法廷判決に擦り寄って、126−2−6〔1952年法律第126号第2条第6項〕でやろうとしたことはだんだんスポイルしていく。そういうふうに変わっていった可能性はある。セットで最初は出していたのかもしれないし、あるいは別々だったのかもしれない。

いずれにしてもこれだけは言えるのは、行政としては日韓条約の話し合いのスタートを切っているわけですし、それを見張ってバックアップして後ろにいるGHQの目をごまかすわけにはいかないわけですから、まだ外交交渉の上にいなくてはいけない。それに対して民事局長が一方的に在日の権利まであそこで奪ったとしたら完全にパンクですから、そこまではやっていないわけです。「外国人は奪っていませんよ。」「では何で外国人登録法なのに登載したんだ。」「別にあれは確定したわけではない。まだ在留権は定まっていない。在留資格は126−2−6でこれから決めるんだ」という話にしておいたわけですね。 これは弁明のための道具であったのか、あるいはもう少し具体的に解決する方法を考えていたのかもしれないと実は僕は思っているんですけどね。可能性はある。だけどそんな方向に行かないで済むのが最高裁大法廷判決だったわけですよ。あんないいものを出してくれたら特例扱いする必要ないんです。じわじわと絞り込んでいって、最後には外国人と同じようにすればいい。

結論から言えば、特例法を作ったことで126−2−6は消えたわけです。一見、特例法で権利を与えたように見えますが、実際権利を与えているんですけど、一般外国人のなかに統合してしまっても問題が起きないように仕掛けを作ったわけです。一般外国人と統合といっても、最近来た外国人ではなくて永住権を持った外国人、せいぜいそこまでだというので、2013年に[2012年7月9日に]予想される新入管法の全面適用のときにはもう特例はなくなっているわけです。一般の外国人で永住権を手に入れている人と何の違いもない扱いになるわけですね。

つまり完成するわけです。この国が、ずっと敗戦後追放しようとしてきた在日の存在を、これで消すことができる。いまそういう時点に来ているんだということです。

(参加者)

いずれにしても、統一するにしても排斥するにしても、本来は根拠がなければ。国会で立法化されないわけだけど、そこのところが全部ネグレクトされてしまっている。

(佐藤)

今回ミョンガンが提訴するに当たって、チャン・ハンニョン弁護士は、僕から見たら在日の裁判ではトップクラスの人ですよ。その人も手が付けにくい。ほとんど動かしようのない既成事実として固まってしまった「奪った」という、それも最高裁大法廷によって「奪った」という、これをひっくり返すというのはあまりにも難しいということですよ。

法的に問題点はいくらでもあるんですよ。山積みにできるんです。やったことはめちゃくちゃなことですから。それをいちいちあげつらって集めれば、どれだけひどいものかわかると思いますが、それをやったところで勝てるかどうかわからない。

だけど僕が言っていることは、それとは全く違うんです。僕は奪っていないと言っています。いま右翼が言っているのと同じですよ。在特会は奪っていないと言っている。一方的に奪ってはいないんだと言っています。あいつらもほしがっていなかったんだと。韓国政府もそうだ、台湾政府もそうだ、合意は成り立っていたんだと。日本政府はそれに対して、それではそうしましょうと言ったに過ぎないんで、一方的に奪ったなんてとんでもないというのが在特会の主張です。だけど在特会がいつそうなったのかと言えば、それは同じで、4月28日ということなんです。ということは在特会が言っていることと一般に知られている常識とは方向は逆だけど同じことを言っているんですよ。僕が奪っていないと言っているのとは全然違う。もともと在日韓国人の国籍あるなしというのは最高裁で裁かれたことが一度もない。なにせそういう主張をしなかったんですからね。在日韓国人は日本国籍がほしいなんて、もともとそういう前提がないわけですから。そうすると外国人であっても特殊な事情があったんだから平等にせよという主張をして、さまざまな裁判も全部それでやってきて、ある部分は勝ってきて、ある部分では負けてきている。

(参加者)

特殊な事情というのが、またそこで曖昧化されているんでしょ。

(佐藤)

そこでまた問題が起きるんだけど、簡単に言えば強制連行だというんだけど、在特会なんかはそれさえも嘘だという。ほとんど現状としてはない、そこで連れてこられた人はみんな帰っている、いま日本にいる人たちはそういう人たちではない、というのが在特会です。そういうことがこれからも続くんですが、僕としては、これまで言われて来なかったことを書き残していく必要があると思っています。だから僕はそれを最後の仕事にしようと思って、さっきも言ったように、途中で倒れても文脈としてはわかるような書き方で書き進めようと思っています。

(参加者)

なんとかそこのところを残しておいてくれないと歴史が変わってしまうよね。在日の人たちの歴史が変わって伝わってしまう。

(佐藤)

あまり悲観的な話ばかりだとよくないんで、これまで国籍選択権を手に入れたところでどうするんだという話がありました。ほとんどの人がほしがっていない、いまだってそうです。ほしがっている人たちは、むしろ右翼の側にまわって、日本国籍を強制的に与えるという、そういう連中といっしょになって運動しようとしている。非常に変な状況がいま生まれているんです。僕の主張をそれとはいっしょくたにしてほしくないんですよね。もちろんミョンガンも弁護士のチャン・ハンニョンもそうなんです。明確な違いはあると思います、それはきちんと見ていただければ。訴訟を起こしていますから、もう訴状もできています。これから実際に裁判が始まります。ただ関心は低いからあっという間に終わってしまうかもしれない。少なくとも最高裁までは行かないと変だと僕は思います。最高裁は悪役の親分ですから、そこを問題にしない限り解決するわけがない。いずれにしてもそれをもう少しわかりやすい書き方で書き残しておくつもりでいます。

選択権の一つのネックは、日本国籍を手に入れた瞬間に、つまり自分はいま選択中だよ、迷っていますといった瞬間に韓国の側が韓国籍を奪ってしまう可能性がこれまであったんです。韓国も重国籍を認めていませんでした。しかも日本よりそれは強烈だった。その虞れを持っていると、選択しようという迷いさえも危ないという不安がある。だから選択権の要求になかなか手を出せなかった。ところがなんと不思議なことに今年〔2010年〕の4月の二十何日でしたっけね、韓国は法律を改正したんです(註1)。来年〔2011年〕1月1日から施行されるんですが、重国籍を容認しました。まあひと口で言えば国際的な流れに従ってということですね。つまり日本のような戸籍中心の発想は、韓国が戸籍をやめたのをご存知でしょうが、国籍についてもはるかに緩やかな発想に転換をしようとしている。だからここで状況は大きく変わってくるかもしれない。

ほんとうはもう一つ可能性があったんですよ。それは何かと言ったら、日朝の国交正常化だったんですよ。朝鮮は日本との間の日韓条約を認めていませんしね。戦後処理を一切認めていませんから。しかも朝鮮の国籍法は、従来は父母両系制、しかも朝鮮国内で生まれた子にも国籍が与えられるという、極めて緩やかなものだったわけです。いまもそうです。その子孫たち、在日朝鮮人はいまも朝鮮国籍と日本国籍を両方持っていると主張することができるんです。これを言われると困るのは日本政府です。言わせないための口封じのために、何度も行政官が朝鮮に行っているんです。もちろん口封じの道具としては援助金の積み増しですよ。それとあとは朝鮮の国内法整備。これは韓国の法律と同じようにしてほしいということです。これはもういくつか実現しています。日本の横槍によって朝鮮法は改正、あるいは新たに作られて韓国と同じようなものになっています。ただ問題はこれからもいっぱいあるわけで、人権を楯にしたら日本政府は非常に困る状況になるでしょうね。

同じことが実は日中平和条約のときもあったんですよ。台湾政府との間で日本国籍を奪った。それを中国が受け容れないと日中平和条約が成立しなかったんですよ。これも裏取引で「戦後日本が台湾との間で行った取り決めは全部黙認する。中国はそこに対して新たに口を挟まない。」これを取り付けたうえで平和条約が成立しているわけです。当然、日朝国交正常化にあたってもそれをやっておかなくてはいけないんですよ。いまだってそういう状況にあるわけですけどね。さてどうなるか。

いずれにしても在日の話で言えば、大きな問題が背景に隠されている。僕らは何も知らされていない。だけど実際には着々と動いているんですね。少なくとも役人たちは、戦後やった大間違い、人権を侵したことをとにかく蓋をしようとしている。それが現状です。

(参加者)

二重国籍の兵役義務の問題は。

(佐藤)

それはいまも残っている。今度の重国籍の容認も兵役を終わった人に限ってという条件付きです。ただ方向としては重国籍容認の方向に行こうとしている。その制約もできるだけ小さくしていこうというのが明らかな方向です。その話は、僕がいなくなった後に残ったものがあれば目を通してほしいんですけどね(笑)。

日本の官僚というのは頭がいいのか、馬鹿なのかよくわからないんだけど、積み残しているうちに「誤魔化し解決」が進んでしまう。あの頃、裁判所がこう言って助かったといま僕は説明しましたが、でももう一方では法務省と最高裁がつるんでいたんではないかという可能性もあるんだけど、もっと深く考えるとつるんでいるはずもないんですよ。敵対していた可能性はある。それはなぜかと言ったら、戸籍というのは、戦前は最高裁が管理していたんですよ。戦後になって法務省の直轄になったんですね。通達・回答・指示・訓令というのは、戦前は最高裁から出ていたんです。

(参加者)

サンフランシスコ条約に向けて日本の裁判所が、なかでどのようにして落としていくのか協議した可能性もある。

(佐藤)

下級審が出した判決に対して、実は市区町村が従わなかったんですよ、いろんなところで。もうあんたらは俺たちの親分じゃない。親分は法務省だと。法務大臣通してくれと。法務省の方もそうだよね。縄張りがある。俺たちの頭越しに市町村に命令するなんてとんでもない。お前らにそんな権限はもうない。裏にそういう暗闘があるわけですよ。そういうなかで下級審が何度にもわたって法務省にいじめられているんですよ。どういう決着をつけるんだということになったときに、一人の台湾人と結婚した日本女性の国籍問題が絡まってしまった。だからこれは一人の国籍の運命の問題ではなくなっていて、通達の効力の問題で法務省と最高裁がどっちが実質的な権限を持っているんだという、とんでもない話になっている。だからあそこで大法廷を開いたんだと僕は思っています。勝負に出るしかなかったんですね。だけど勝負に出た結果は何かというと全面敗北ですよ。通達に丸々従ったわけですよ。これからは通達・訓令を確かにあんたらが出す権限があるんだからくちばしを挟むことはやめます、ごめんなさいと大法廷で謝った。あれが判決の中身だと僕は思っています。ただこういうことも、当時の人だったらかなりのことがわかっていたはずです。だけど、戦後のごたごた状態でどうなるかわからないところで、あんまり先走ると危ない。権力争いのなかでどっちに行くかわからないところで、ちょっと引いておいた方がいいということがある。

それからもう一つは、戸籍というものはどういうものなのか、弁護士や学者なんかもそうですが、戸籍について全然知らないんですよ。これが誤解を招いて拡大解釈が広がったもう一つの原因です。民事局長通達なんて単に部下に対する命令に過ぎないわけです。その部下と言ったら戸籍係担当者ですよ。そもそも通達なんてそれ以外の人には関係のない話なんです。職務命令なんですよ。職務命令で、それと関係のない外国人の国籍を奪えるはずがないじゃないですか。ということで思い至ってみると、この国の学者を含めて、全く戸籍を知らないということなんですよ。

だから、僕が戸籍を問題にし始めたときにも、全然相手にもしてくれなかった。僕が最初にやったのは婚外子差別ですよ。差別の実態をもちろん知らない。どういうふうにそれが表記されているのか厳密にはみんな知らない。法律・通達があったら、そういう記載は当たり前じゃないのということしか言わないんですよ。しかし、そこには裏の問題があって、戸籍を知らないと日本のいろんな仕組みがわからない。

みなさんは判例法という言葉を聞いたことがあると思います。最高裁の判例が出れば、ある程度それに従わなくてはいけない。それを覆すには最高裁の大法廷でやるしかないという常識を持たされている。だけど日本は法治国家で成文法の国なんです。だから判例がいくつ出ようと、国籍が奪われたのか残っているのかなんていう大きな話は、最高裁は判断なんかできないはずなんですよ。

いまは、そのことはかなりわかってきていて、最高裁はどうするかというと、一応判決として判断するんですが、法律が未整備なので制定を急げ、というのをくっつけて出すわけです。この辺いまの慣習なんですけど、当時はそんなもの何にもないんですよね。

持っている持ち駒をあらゆるふうに使って自分たちの主張、考えたことを押し付けてきたのが、それまでなんです。それまでの、戦後の民主化されたときのごたごたのなかでの裁判なんて、そんなもんだったんですよね。

だけど戸籍を知らないということは、とんでもない話で、戸籍先例法という言葉は聞いたことがないと思うんです。法律がなくても、戸籍先例ってのは法律に代用されるんです。それを戸籍先例法と呼ぶんですね。戸籍先例にはどんなものがあるかと言うと、通達・訓令・回答・指示です。指示なんていうのは、一個の事件について、ここのところどうしたらいいんでしょうと聞いたときに、そこはこうしなさいと言った、これが指示ですよ。そういう指示がありましたよと、だから次もそうしてくださいねというのが続いて行くと、いつの間にか覆せない法律になってしまうんですよ。

こんなことが可能な行政通達・指示・訓令・回答はありません。どんな行政のほかのいろんなものも、法律を超える、あるいは法律と対等な力を持つことはありません。ところが戸籍だけは、それが許されているんですよ。そのくらい重要なことなのに、戸籍のことを誰も知らない。戸籍の役人だけが知っている。とんでもない事態なんですね。

僕なんかが常識でね、これおかしいんじゃないか、日本は法治国家だしとか思って運動を始めたり抵抗を始めたりしたのに、やたら変なところから横槍が入ってくる。どうもおかしいなと思ったら、僕もその辺は事情が酌めていなかったところなんですよね。だけどほかの人はもっと知らないですよね。

そういうなかで苦闘した回想録、まあ楽しみながらやったんで苦闘とは言わないんですが、それがこっち〔『ウーマンリブがやってきた』〕だし、いまの時点で戸籍のなかで言えることをまとめたのがこっち〔『知っていますか?戸籍と差別一問一答』〕ですね。

どちらも、こっち〔『知っていますか?戸籍と差別一問一答』〕なんか特にそうだけど、これから僕はまたしぶとく生きるかも知れないけれども(笑)、やっておかなきゃいけない仕事はしたなと。いま一個残っているぞというのが、これなんだということですね。

(反訳・宮崎俊郎/校正・井上和彦)


引用者註

(註1)韓国は法律を改正したんです

韓国の国会は、2010年4月21日、国籍法一部改正法律案の修正案を可決。韓国政府は、2010年5月4日、同法を公布し、2011年1月1日から全面施行した。

国籍法改正の経緯と条文の日本語訳については、国立国会図書館が提供する立法調査資料「外国の立法」No.245(2010年9月:季刊版)所収の「韓国の国籍法改正─限定的な重国籍の容認─」(pdf、839キロバイト)を参照されたい。

原典について


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公開日:2011年7月6日、最終更新日:2018年2月24日
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