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「吾、一度も日本国籍を放棄せず!」

キム・ミョンガン

日本政府と国民が、北方領土と竹島を不当に他国に占有ならびに剥奪されているのに対して、強い怒りを持っているのと同じく、私も自らの日本国籍を剥奪されたことに、強く怒りを持っている。

そもそもサンフランシスコ条約において、北方領土がソ連領にされたことに対し、日本は次の2点において抗議してきた。

① 2条c項には北方領土を示す担当字句が欠落。

② 条約には、ソ連は参加しておらず当時者性が欠落。

この2点を根拠に北方領土を一度も放棄したことがないとしてきた。もっともである。

(竹島も同じ理屈)

しかし、2条a項に対しては解釈と運用は逆である。

① (在日)朝鮮人の国籍に関する担当字句が欠落している。

② 当時成立していた南北政府、在日代表団も参加しておらず、当事者性が欠落している。

日本政府は、ソ連に対しては「不当・無効」を訴え、在日の国籍問題に対しては「正当・有効」としている。さらに問題なのは、「民事局長通達」による処理である。

さて、日本国が1910年より行ってきたのは、戸籍と国籍の恥辱のキャッチボールである。

まず、1910年に日韓併合条約の後に、1922年朝鮮戸籍令を公布し、これによって日本国民を、「外地戸籍」と「内地戸籍」の二者に分別する。このことが日本国の敗戦後の戦後補償問題に大きく関与する。

一例を挙げれば、1945年に「衆議院選挙法」を改定するが「外地戸籍」者を除外する。(註1)国籍によってではなかった。当然である日本国籍者に変わりはなかったのである。

1945年に[1947年に]「外国人登録令」を公布する。その対象は、「外地戸籍」者であった。当然である(?)、日本国籍を持つ在日を国籍で処理することは不可能であった。

1945年から52年のサンフランシスコ条約の間に日本国内に居住する在日に対して、その日本国民である日本国籍を剥奪することは不可能であったが、日本国が企んでいて実行したのは、「内地戸籍の有無」によると言う、国籍の内実の剥奪であった。

戦後、補償問題をめぐる裁判で争点となったのは、たとえば遺族手当、負傷者手当、原爆被害手当などでは、負傷、被爆当時に「日本国籍を有する者」と冒頭に説明されているが、必ず末尾に「ただし内地戸籍を有する者」とされ、国籍は戸籍により敗北する。

戦犯とされた在日朝鮮人はサンフランシスコ条約後に「すでに日本国民にあらず」と釈放を要求するも、「当時は日本国籍」とされ、有罪とされる。日本政府により、戸籍と国籍は、時と場合によって使い分けられている。これらを称して、「戸籍と国籍の恥辱のキャッチボール」と呼ぶ。

そして1952年サンフランシスコ条約発効の日が4月28日であるが、その数日前の4月19日に「民事局長通達」が出され、在日の日本国民であるところの日本国籍はそれを喪失させられてしまう。

しかし、民事局長通達というのは「部内の機関や職員を拘束する」だけで「国民に対して効力をもつものではない」が、この通達を後に最高裁は追認する。一介の役人の一片の通達によって「日本国民たる要件は、法律でこれを決める」と規定する憲法10条も敗北する。通達が奪ったのは戸籍である。

よって未だに私は一度も放棄したことがない日本国籍を保有している。

通達は、憲法22条2項の「何人も……国籍を離脱する自由を侵されない」に違反する。よって無効である。

行政機関の一介の役人の憲法違反を、最高裁判所が正さなければならぬのに、結果的に追認した点が批判されるべきである。

「通達は一定範囲の者が日本国籍を喪失することを明らかにしているが、これらの者がいずれの国籍を取得するかについては触れていない」(小池信行(民研57号7.29[「国籍法」の話(上)、民事研修420号、1992年4月])法務省民事局課長)。

国籍条項のなかったところに国籍条項を擬制し、国籍変更の基準を、日本の国内法制度である戸籍制度によった点が、恥辱の恥辱たるゆえんである。

一方、平成2年の広島高裁での日本国籍確認裁判での判決(註2)は「国籍喪失は民事局長の通達によるものではない」とし、憲法31条違反ではないとしている。それは「平和条約の効力」とする。さらに「条約が国籍については明示的に規定していないとしても、これを根拠にとして[根拠として]平和条約の発効により朝鮮人が日本国籍を当然に喪失すると解することは十分可能」とある。国籍喪失とは、暗黙の了解なのか?

しかし、これでは2条c項の北方領土占有権に保証を与えたと同じである。仮に、「明示的に規定していないとしてもこれを根拠として北方領土を当然喪失すると解釈することは十分可能」となってしまう。これでいいのか、日本政府よ。

日本の裁判所が2条c項の拡大解釈をソ連側に与えていいのであろうか。植民地支配についての日本政府の無反省は、(在日)朝鮮人政策のみならず、国籍問題にも大きく影響した。各種補償問題を切り捨てただけでなく、朝鮮人と婚姻した日本人妻達をもである。今日なお、多くの者が、アジア各国が日本政府に対して補償裁判等を起こしてきたことは、逆に言えば、多くの日本人に対して今なお罪の意識を与え続けている。

植民地独立以後、日本政府は平和条約対策研究(外務省)で当初、つまり1950年頃までは国会答弁にも見られる様に「国籍選択」が平和条約に設けられるはずであった。

しかし日本政府は「植民地支配の正当性」を示すために「責任回避」策へと方向変更とした。謝罪と補償から「責任回避」に用いられたのがサンフランシスコ条約2条a項であり、民事局長通達である。戸籍による差別から、晴れて(?)国籍による差別をしたのである。

思えば、「外国人登録証指紋押捺裁判」における京都地裁の判決理由も「外国人には戸籍がないから身分確認の手段として指紋は必要」などと言うものであった。

しかし、戸籍制度には本人確認をする手段も方法もない。指紋も写真もないのである。この点を悪利用した犯罪が生じているのは周知のとおりである。そもそも戸籍は、天皇から庶民に与えられた制度であり、よって天皇家には戸籍がなく、天皇家独自の制度がある。戸籍を身分確認手段として認めるならば、日本国民一人一人に指紋と写真が必要となり、すると天皇家にも同等の手段がされるのか興味深い。戸籍制度は廃止すべきである。戸籍と国籍の恥辱の関係も是正すべきである。外国人参政権など笑止であり、私は依然として日本国籍を保持しており、戸籍を得る手段としての「帰化」をするつもりもない。

過去の反省も謝罪も補償も、サンフランシスコ条約以降は一方的に清算する手段に用いられたのが2条a項である。2条a項によって解放されたのは、実は日本政府の方である。

私が、依然として保有しているところの日本国籍を確認をし、もって歴史の清算とする。


引用者註

(註1)1945年に「衆議院選挙法」を改定するが「外地戸籍」者を除外する。

1945年法律第42号による「衆議院議員選挙法」の改定は、附則において「戸籍法ノ適用ヲ受ケザル者ノ選挙権及被選挙権ハ当分ノ内之ヲ停止ス」と定め、「内地戸籍」をもたない日本国籍者の選挙権および被選挙権を当分停止した。
【出典:denizenshipWiki年表・定住外国人の地方参政権問題に関する経緯」】
【出典:外国人への差別を許すな・川崎連絡会議外国人の人権はいかに排除されてきたのか -日本国憲法制定過程からいまを見る-(古関彰一(独協大学教授)講演録)」】

「公職選挙法(1950年法律第100号)」も、附則第2項において「戸籍法(昭和二十二年法律第二百二十四号)の適用を受けない者の選挙権及び被選挙権は、当分の間、停止する。」と定め、これを踏襲した。

(註2)平成2年の広島高裁での日本国籍確認裁判での判決

広島高等裁判所判決 1990年11月29日 昭和63年行コ)第10号
(原審・山口地方裁判所 昭和61年行ウ)第6号)

原典について


Copyright(C) 2011-2013 日本国籍のなしくずし剥奪を許さない会
公開日:2011年2月12日、最終更新日:2013年2月3日
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